歩かない

■歩かない

 昨日は登山というか山から戻って来て、異様な疲労を覚え、やっとかっとシャワーを浴びた。例えて言うと、身体が制御不能ということで、頭をぶつけたり、肘をぶつけたりする。そうか、これが老化なんだと思ったね。今まで生きてきて初体験である。

 生きるというと少し大げさであるが、やることなすこと緩慢で丁寧さに欠け、やっつけでやっているような生き方である。

 これが、眠るまで続くのである。夕飯は三分の二以上残し、テレビも見ず、照明を落とした部屋でただ音楽だけを聞いていた。そのうち、眠ったようだ。

 今朝も、身体全体がだるい。昨日の登山なんか、林道を歩いただけなのにこのざまである。歩数も2万歩少し切る程度であった。ああ、脚が痛い。

 今日は歩かないようにしよう。歩くことが健康増進につながるというような主張もあるようであるが、個人差が大きいと思う。自分の人体実験の結果、歩いても体重は減らない、お腹は引っ込まない、靴が減ると、いいことなどあまりなかった。また、脚がいたいという欠点も起きている。自分への言葉は”健康のため、歩きすぎは行わない”ということであろう。特異体質なのか、食べる量が多いのか、どっちだろうね。

 いつもの日なら、午前中にセカンドオフィスへ向かい昼頃帰宅後昼食という流れであったが、こう暑いと夏時間を検討しなければならない。今日は、朝食後、フォレストの準備作業を行う。涼しいうちに力仕事をやった方がいい。

 半分が終わったので、残りは気が向いた時にやろう。

 ついで、休憩である。もちろんエアコンは入れている。扇風機も付けてなご成っていると急に元気になる瞬間がある。ここで、起き上がり昼食の準備である。

 今日はラーメンの日であるが、冷凍したカレーも長い間残っているので、カレーラーメンで決めていた。しかし、カレーはうどんの方がいいのではと気が変わり、カレーうどんにした。きちんと出汁を作り、カレーを入れてできあがりである。味は、問題なし。

 今日で、メンマも無くなったが、慌てて作らないことにした。もう成功したのは分かったので、後はゆっくりと塩蔵分を消化していけばいいだろう。

 昼食後は、なごなってFM放送を聞く。そして、シーツ交換、防虫剤入れと細々した用事をこなす。

 ドクダミで作った防虫剤であるが、効くのかね?明日確認しようと思う。ドクダミの成分は抽出されているようだ。

 洗濯物を取り入れて、セカンドオフィスへ行こうと考えるが、歩かないようにするにはどうするか。今日は月曜日で車が無い。いつもなら、マックドになろうが、2kmほど歩かなければならないので、バスで市内で出ることにした。バス代がかかっているので、コーヒー一杯300円以上の高級な店には入ることができないのでいつもの店になった。

 本を読んで、疲れたら居眠りをして、はっと起きて、本を読んだり考え事をしたり、そして居眠りをして、を繰り返す。出前講座の準備も行う。

 夏はこのルーチンで行こうかと考えている。

■「自分流」(辻 仁成著、光文社、2023年)を読む。(その2)

「そもそも一生というのは万人に与えられた自由時間で~」

「目標達成の近道は、迂回である。」

「絶対に何か突破する方法がある」

「人生そのものを楽しむことができた人が、じつは人生の勝者なのだと思う。」

「ストレスは寿命を縮めるばかりじゃなく、老化を促進させるし、人間性を損なわせる。」

「生ききってこその一生」

「人間は与えられた一生を、自由に生きる権利があるのだから。」

「先を考えて今を生きるのは、今を侮辱することであり、今を放棄することだ。」

「つまらない世界を楽しく変えることが、人間の生きる目的なのである。」

「退路を断つ」

「“のめり込む力”とでもいうようなものがある人は、まず迷わない。」

「人間にまず必要なものは“信念”だと思う。」

「あなたにできること、あるいはできると夢見ていることがあれば、今すぐはじめなさい。向こう見ずは天才であり、力であり、魔法です。さあ、今すぐにはじめなさい。」

「人一倍努力した人には、少なからず“自信”がついてくる。」

「ぼくはジムに通い、腹筋を鍛えた。」

「まわりと自分を比較することは、もっとも愚かな行為である。」

「そして、自分の好きな人生を生きる人は、豊かな一生を手に入れられるかもしれない。」