コーヒーショップ

■コーヒーショップ

 退院してから、コーヒーショップ通いの毎日になっている。

 取り立ててコーヒーが好きというかコーヒー無しで過ごせない

からでは無く、目的を整理してみる。

 最近は、全部飲むことも少なくなり、飲み残し廃棄にも慣れた。

 まずは、歩くためである。退院してからは、さすがに2万歩は

歩けてないが、月平均で1万歩を目標にしている。

 肥満は、万病の元という意識があることと、筋力回復という目的もある。

聞いた話では、筋力回復には、1年ぼど掛かるようだ。

 次に、気ままに過ごすことである。

店には、本やスマホを持って行く。最初に座席を決め、

リュックサックを置いてから注文する。決まってホットコーヒー

のSサイズである。これに、氷水を付けてもらう。

一日に2回行くことも多々ある。

 店によってはレシートがお代わり券になる。子供が帰宅後

に使う事があるので、レシートを下駄箱の上に置いて置くと持って行く。

 そのため、2回目は、ファーストフード店に行くことも多くなった。

 席に着いて本を読み始めるが、入院前と異なり直ぐに睡魔が襲う。

そして逆らう事無く居眠りする。今まで、椅子から落ちて頭を床に

打ち付けそうになった事は、2回しかない。

 これは立派なことだとほくそ笑んでいる。座りながら居眠りすることは、

会社員時代に身に付けた。だいぶ訓練していたように思い出す。

毎回完全熟睡するようだ。起きた後は、頭がスッキリする。

 再び本を広げることもあるが、最近はブログに載せる文章を

スマホに打ち込んでいる。

 三番目の目的は、光熱費の節約だろう。

 最後は、ボーっとしながらも、いろいろ考えることである。

 これからの、予定を綿密に決めておく。今の自分に非効率な

時間の使い方は出来ないという、強迫観念があるようだ。

■「人生はうしろ向きに」(南條竹則著、集英社新書、2011年)を読む。

「何ごとも良い方には変わらない」

「~いくら嘆いたところで、誰も助けてはくれない。」

「科学技術は進歩する。故に幸福もまた増進するという発想だ。そんな馬鹿なことがあるものか。」

「自然環境が年々歳々悪化の一途をたどっていることは~」

「メダカも雀もあまり見かけなくなった今日の日本だ。」

「未来には、“飢え”と“欠乏”と“欠乏”ゆえの“争い”が待っている。」

「不健康という贅沢が許されるのは自由人―――」

「―――何でも良いから、ある口実によって特権を得た少数者が、大多数の同胞を搾取するという不滅の原理である。」

「言葉に変化はつきものだ、などといってノホホンとしている連中の、何という愚かさ!」

「~未来に希望をかけて生きるのは愚かである。」

「時代に取り残された人間は悲しい。」

「人間は若くして元気なうちは、さかしらな知性などを頼みにして、無神論などとけしからぬことをホザいたりするけども、死が近づいてくれば、誰だって心細くなる。」

「現在の私は、すみやかに死にゆくことを待ち設けている。」

「~人間の死後の魂というものは存在しない。」