■グミ
グミでジャムを作り始めたのは、何時からだったか覚えていない。
自分が採っていたグミは、アキグミという名前で、この他にナツグミなどの種類もある。
気を付けて見ると、身近に成っている。
やはり、食べることが出来る植物は大切にしたい。
今日は、くさのさんとアキグミ採りの予定であった。
聞いた話しであるが、ここ常願寺川流域は、日本一のグミ生息域と言われている。
自分は散歩でここを歩くこともあり、次いでに下見をしてしまう。
低木なので手を伸ばせば採れる。課題は、如何に効率良く採るかである。
ここで言う効率には、採取後、ジャムにするまての各工程も含んでいる。
一粒づつでは、時間が掛かり、擦り採ると、葉も入るので取り除く手間が掛かる。
今回、自分はある方法を考えた。
まず、採取したグミを入れる容器は首から下げるようにした。
これで両手が使える。次に、実が成っている枝に対して、
右手は実だけを擦り落とし、下の左手で受ける。この方法は、狙い通り上手く行った。
30分は、居なかったはずであるから、予定通りの量を確保出来た。
帰宅して、水洗いを兼ね、浮いた実は、廃棄する。
鍋で湯に入れる。これは、煮込むのではなく、加温して
皮を柔らかくするのが目的である。
少しずつ裏ごしする。
鍋を洗って、果汁と半量のグラニュー糖に入れる。
ここからが、ヤマ場である。ひたすら混ぜ水分が飛ばす。
どんな状態でやめるのかが難しい。ここで考慮しなければならないことは、
■■による蒸発である。
上手く行ったか、どうかは、冷めて保存瓶は入れ、倒しても流れ出ない硬さ
としており、今回は上手く行った。
そして、味見である。ホームベーカリーで作ったパンをトーストにして、
既に作ってある柿ジャムとコラボする。
まあ、満足であった。毎回、このくらいにしている。
防腐剤等使ってないので、カビるのも早い。
明日から、朝食に登場する。
さて、第二段は、あるだろうか。
■「禅の知恵に学ぶ」(山川宗玄著、NHK出版、2022年)を読む。(その1)
「仏法は、カラーンとして何もないもの」
「厳しい修行を積み重ねて悟りを得た者は、おのずと他者を救う道に進みます。」
「余計な考えを起こす前に、体を動かす」
「今、修行に専念しなければ自分の命をまっとうできない、生まれてきた意味がないという意識を持った者は、出家という形式を選択するのです。」
「体を使って、毎日精一杯生きているだけです。それが、最も人を変えるのです。」
「~本当は“生きることすべて”が修行と言えます。」
「しかし、禅に限らず、“道”を求めるなら、“型”から入るのが早いです。」
「修行をしている限り大丈夫だ、死なないんだと確信したのです。」
「自分の外で何が起きようと心がまったく動かないこと、それが“坐”である。」
「~いつでもどこでも“いながら禅”で生きていくことができれば本物だ~」
「調身・調息・調心」
「怠け者の修行者は、長い年月を虚しく過ごして、最期は苦しんで死んでいく。」