孤独死

■「依存症」(伊藤 洸著、サイエンス社、2011年)を読む。
 「何もしないで落ち着いていられる人というのは、自分の考えに任せ切っていながら、心の安らぎを得ているに違いない。」(ウェイン・オーツ)
 アルコール依存症ギャンブル依存症に多くの記述があった。パニック障害の記述も数ページあった。目的としていた、「活字依存症」という記述はなかった。これは、喜んでいいのか、悪いのか複雑な気持ちだ。

孤独死
 昨日のニュースで報道された。死因は凍死とか。登山をやっている人は分かる。人間は温度が低いだけでは死なないらしい。昔、雪山で実験した人がいたらしい。多くは、疲労凍死である。食べ物をたくさん食べエネルギーが生まれている状態では死なない。今回は、餓死そのものであろう。公共料金が払えず、光熱関係を止められた上での凍死である。申請すれば生活保護が受けれたレベルにもかかわらず、勝手に勘違いして申請しなかった、という内容に憤りを覚えた。
 そこへ行くと、もやいの湯浅氏は違う。本人が拒んでも必要と判断すれば強い口調で申請させているようだ。
 いつから、情報に非対称性があり、手続きも知らない相談者に対して自己責任を押し付けるようになったのか、と思わざるを得ない。
 今日から食べるお金もなく我慢に我慢を重ねて最後の砦として相談に来ているのに、追い返したらどうなるのか分からないのだろうか。
 いや、分別のある人だ。分からない訳はない。どうなるは分かっていて、追い返したのである。どうでもいい。自分の仕事ではない。知ったことか、という感じではなかったろうか。
 いくら『〜を無くそう』声高に叫んでも、聞いている方がむなしいだけだ。
 見方を変えればマニュアル社会の限界ということか。決められたことだけすれば大丈夫という社会である。問題がでるのは取り決めがなかったのが原因である、という主張である。
 本当にそんな社会でいいの? 何か違わないかい?と思っているのは自分だけだろうか。