猿倉山・御前山

■猿倉山・御前山

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■「お礼まいり」(徳岡孝夫著、清流出版、2010年)を読む。
「死ぬの大好き」
「日本語は、書かれぬ部分に意味がある。」
「一写では不十分である。やってみないと分からないが、二写三写すると驚くべきことが起こる。」
「では、いかにして生きるのが最も賢明か。その問いかけを裏返せば、人間いかににして死ぬべきかという、これもまた人間永遠のテーマになる。」
「〜絶対安全なことしかしない国は、国際社会の一員として一人前といえない。」
「〜現世の幸福と希望をすべて断った。」
「死は人生最後のケジメで、死が迫れば他のことはどうでもよくなる。」
「生きるなら、死ぬ日まで元気でいたい。」
「〜だいたいヒマを持て余している老人のどこに、日帰りする必要があるのか。」
「もはや幾何(いくばく)もなくなっている生涯の残余を、見果てぬ夢の心持で、死を恐れず、死にあこがれず」(森鴎外:妄想)
「〜無冠だが作家は作家である。」
「人間はある日、突然死ぬものではない。歳と共に徐々に死んでいく。」
「妻に死なれてからの私は半分死んだ人である。」
「咳をしてもひとり」(尾崎放哉)
「あかげらの叩く音するあさまだき 音たえてさびしうつりしならむ」(昭和天皇
「〜忘却はむしろ健康の証である。」
「〜ボンヤリした不安を抱きながら時の流れに任せている。」
「自然と文化は、固く結ばれる。」
「坂の上に立てなかった者が、坂を下っていく術を知るわけがない。」
「転瞬の間という。瞬きする間に人の一生は終わる。」