頼成の森

■頼成の森
 いつも通り5時には目が覚める。しかし、軽い頭痛がする。おまけに、少し咳き込んでいる。現役時代では、構わず出勤であったが、今は大事をとって静養日とする。
 天気は、梅雨の中休みなのか日差しが強く絶好の撮影日和である。
 昼近くまで寝ていて、昨日の記録にコメントを入れる。15時ごろには頭痛は治まった。やはり、休めばいいのだ。
 少し変則的ではあったが、頼成の森に向かう。ショウブ祭りは終わっており、目当ては樹木である。この時期にしか見れない状態を撮っておかないと、また一年待たなければならない。スリッパで遊歩道を歩いた。
 野鳥も鳴いていたが、いつもの鳥であった。コガネムシのような昆虫も撮ったがボケボケでさっぱり分からない状態であった。
 長らく分からなかった樹木が分かった。
 手持ちの図鑑にもなく、迷宮入りかと思ったがモクレンのようだ。しかし、ハクモクレンかシモクレンかまでは特定できない。図鑑では赤い実となっていた。とりあえずシモクレンとすることにした。

 頼成の森には、樹木に名前を書いた札がかかっているので、片っ端から撮り、後日図鑑登録することにした。ちょうど、天気予報が雨模様なので外出しない日が続くであろう。
 野鳥は、ホオジロばかりであった。

 5m先にヒヨドリが飛んで止まったので条件反射的に撮る。

 ササユリが2頭で咲いている。(図鑑登録)

■「新老人の思想」(五木寛之著、幻冬舎、2013年)を読む。
 前に読んでいるが再び手に取った。
「人が長生きすることは、果たして本当に幸せなことだろうか。」
「老化は人生の苦である」
「しかし、自分に働く能力と体力が残っていると感じる場合、人は飼い殺しには耐えられまい。どんな人間にもプライドはあるのだ。」
「長生きが最大の不安なのだ」
「〜人間は自分で自分の死にどきというものを、勝手には決められない」
「死を考えることが不吉なことでもあるかのように思われていた時代は過ぎた。」
「老人は荒野をめざす」
「立って歩く そのことが決して自然なことではない」
少子化も問題だが、それより重要なのは、人が逝けない社会、ということだろう」
「長寿、長命が世間から祝福された時代は過ぎた。」
「これまでの人生論などは、ほとんど役には立つまい。一種の余計者として生きなければならない。」
「青春の心を失わなければ人は老いない、などというが、それは願望であって現実ではない。」
「私たちは日々、老いていく存在であることを正しく認めなければならないのだ。」
ブッダも、孔子も、イエスも、ソクラテスも、全て口舌の人である。」
「老化は自然の成り行きであって、病気ではない。」
「一日でも長く生きたい、と願いつつ、人は心の底で、もうそろそろいいかな、とふと思う時があるのではないか。」
「明日、死ぬかもしれない、という実感をおぼえるようになると、世界がちがって見えてくるものである。」