害虫の話

■害虫の話
 講義の内容は害虫の話に移った。まず、害虫とは何かという問いかけがあった。これを昆虫だけだと考えているようではアウトである。
「木にとって不都合な虫」ということで、虫は昆虫、クモ類、など全て含まれる。
 今回は膨大な量になるので、事前に一節数十ページを事前に読んでくるようにという指示が出ていた。
 かなり専門的な言葉が出てくる。必ず覚えておくことと言われた単語だけ羅列すると、咀嚼性口器、食葉性害虫、せん孔性害虫、吸汁性口器、ゴール、単食性、狭食性、広食性、生活環、完全変態、不完全変態・・・・・。
 教科書の中に、木のどの部分にどのような害虫がつくかという表があるが、これくらいは覚えて欲しいという。50種類ぐらいある。(溜息しかでない!)
 特に必要な害虫のみ詳しい説明があった。アメリカシロヒトリチャドクガ、アブラムシ、カイガラムシである。カイガラムシ(介殻虫)の防除剤は冬に撒くこと。
 いずれも、その害虫がいつ産卵し、いつ幼虫になり、いつ蛹(さなぎ)になるなどのことを知っておかないと意味のない防除になる。年間、2〜3回産卵する虫もいる。
 毛虫がついているくらいでは木は死なないが、薬を撒く大きな理由は人の要求がおおい。
 作業中に虫を見て「アッ!」とか、人に聞かれてどんな虫なのかを答えられないようでは、「(その人間は職業人として)終わり!」である。
 最後は松枯れの原因であるマツノザイセンチュウのDVDがあった。
 中には、害虫にやられて困っている人もいると思うが、正攻法が書かれてあった。
「害虫による被害の発生を防ぐには、日常の監視によって発生した害虫を早く見つけ、そして、見つけた害虫を図鑑などの資料と照合して名前を明らかにすることが大切である。害虫名が分かったら、その害虫に最も適した防除法を選び、被害が拡大する前に防除する。」
 しかし、思うに、虫を見るのも嫌だ、探すのも嫌だ、調べるのも嫌だ、殺すのも嫌だ。でも、木は何とかしたいと思っている人が大多数なんだろうなあ。そこに商機あり!!

■「ちいさい隅の四季」(大佛次郎著、神奈川新聞社、2016年)を読む。
「昔の時の鐘が、日長や短夜によって、時間を変えてついた事実も、のどかでおもしろいことである。分秒を争って精確となった現代は、人間の生き方を、時間の規律に盲従を事としてばかげているように思われてくる。昔は時間がきたために食事をしたのではなく、空腹になってから飯にしたのである。」
「自分の考え方だけが正しいと信じているものは、その場に停止しているものだ。」
「国家の理想が収入の話で終わるのは不安である。」
モンテーニュは一番かしこいひとは、あまり世間に知られずに自己のペースで生を楽しむことを知っている人だと言う意味を記した。」
「鶯(うぐいす)を聞くひとは、同時に、啼き音の終わったあとの静けさを聴いた。」
「今日でも、茶席にはいる時は腕時計はもとより、指輪をはずすのが客の義務である。」
「歩くことがすぐれた学問や詩文となった。」
「金もうけと関係なしに尊いこと、価値あることが世の中にいくらでもあると、人が信じていた時代があった。」
「人命が軽く見られ簡単に殺人が行われるのも、案外、自然の草や木が、花や小鳥が人々から遠ざかったのに原因があるかも知れない。」
「書くとは消すことだ」
「私は死んで極楽へ行くことなど望んでいないし、考えもしない。」
「お月さまがまだ起きていらっしゃるのに、私らは先にやすむなどと・・・」
「横断架橋や地下道も歩く人間のためを思って造るわけだが、足弱の老人や子供に階段の上り降りを強制して、地上の人間の道路を自動車に引き渡してしまったのである。器械に対して人類の全面降伏である。」
「なしくずしの変化が一番救い難い。ガン細胞がひろがって人体を死滅に導いて行くのを考えたらよい」
「私がいよいよ爺になった証拠と残念ながら自覚されるのに、古本屋へ行かなくなったことが、その一つである。」
「〜それ以上、くわしい説明を求めるのは、専門の知識を無償で奪うものだ〜」
「財産とは盗んだものだ〜」(プルードン
「私の身のまわりにも八十に近くなって知的好奇心や探求心を失わぬすぐれた老人たちを多く見る。・・・この人たちは過去のことを決して自慢しない。老いを感じつつも、その限りで新しく生きようとしている。」
「すぐれたエッセイストであるためには、まず文章に巧みな上に、深い教養と、豊かな人生経験と、広い見聞の持ち主であることを必要とする〜」