ジム

■ジム
 朝から暴風雨である。家人が一番目を車で送っていく音が聞こえたタイミングで起きる。こんな日でも歩かなければならずと、傘を差して2kmほど歩き、モーニングセットを食べて、本を読んでといつもの雨メニューをこなし、2km歩いて帰宅する。
 もうすぐ自宅というところで、スマホが鳴る。家人からでいろいろと用事があるというので、運転手に変身する。銀行、デパート、スーパー、靴屋地鉄、Uサポートと目まぐるしく回る。
 帰宅後、市民プールのプリペイドカードをプレゼントしてくれた。しかし、最低の2,200円分のである。おそらく、続かないだろうと見られているようだ。まあ、当たっているかもしれない。
 そこで、さっそく市民プールのジムに出かける。今回はサウナも別料金で付けた。
 満員である。自分より年配の方が器具を使って汗をかいている。ランニングマシンなどは1時間待ちのようだ。仕方がないので、空いている自転車を30分ほど漕ぐ。これで汗がしたたり落ちている。普段着でやっている人は自分しかいない。皆さんは、半そで、半ズボンのトレーニング姿でやっている。結構、浮いていたね。
 そして、ランニングマシンが空いたので使い方を教わっていたが、何か違和感を感じた。あんた、これをやるのか!という雰囲気である。
 35分で自動的に止まるというので、まずは時速6kmにして軽く走って見た。こういう計器のいいところは心拍数などが表示されるところである。心臓の悪い人は医者に相談して使ってくださいと書いてある。心拍数120をリミットでやったが、130を超えるところまで来たので、クールダウンする。隣は8kmで軽快に走っている。
 汗びっしょりになりサウナへ行く。湯船があるのですっきりである。スポーツサウナというのか温度が少し高いような気がする。
 自分はトレーニング方法としてジムを利用することに消極的であった。これは、映画ロッキーの影響が大きい。何作目か忘れたが、マシントレーニングした選手と自然相手にトレーニングしたロッキーが戦って、ロッキーが勝ったが、この時に自然相手のトレーニングの方が優れていると刷り込まれたようだ。
 しかし、今日のような暴風雨の時はジムを利用するのもいいと思う。週3回がいいようである。まずは、プリペイドカードを使い切ろうと考えている。

■「人生という花」(小檜山 博著、河出書房新社、2017年)を読む。(その3)
「〜自分では貧乏だとわかっているが、他人に言われると不愉快だ。」
「他人が不幸になったり落ちぶれたりする姿を見るのは嬉しいもの〜」
「花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり・・・嵐が花をさそって散らす庭の落花の雪ではなく、降ってゆくのはだんだん年をとって古くなってゆく自分の身だなあ」
「つらいことがあると夜空の星を見上げる〜宇宙の広さを考えると人間の悩みの小ささに気づく〜」
「〜桜の花は咲いてしまうと見ている間に次々と散ってしまう。これ人生の無常に似ている。」
「〜人生とは今日一日のことだ〜」
「だが過ぎてみれば人生は夢だった。一瞬の夢だった。」
「過ぎていれば人生は花である。」