二上山

二上山
 立山山麓に行く予定で磁北線を入れた地図とコンパスを出して準備していた。ところが、天気予報は午後から雨という。これは雪崩に合うかもしれないと予定を変更した。呉西の方になかなか行けてなかったのでいろいろな人のブログなどを見て、二上山にした。次にルートであるが、例年大師ケ岳まで行っているのでピストンにするか、城光寺まで出てループにするか悩みながら二上まなび交流館に駐車する。
 体育館のトイレが外から入れるので済ます。
 雨こそ降っていないが、風が強く。ワイルドだねえ!ゆっくりと整備された道を歩く。 

 4〜5組が歩いておられた。さっそく、野鳥の声がすごい。シジュウカラ、ウグイス、ヒヨドリと混成三部合唱かと思われるほどである。そしてホオジロも啼いていた。今の時期、ウグイスを撮ろうと頑張り過ぎると時間の案分を間違うので撮らないように努めていたが、すぐ近くで啼いているとついつい凝視してしまう。啼いているウグイスよりも地面すれすれを飛んでいく、啼いていないウグイスの方が撮りやすいと密かに狙っていたが、かなわなかった。
 ウソがいる。

 花もスミレの仲間とショウジョウバカマが目に入ったが、クロモジなどもまだ蕾であった。蝶もシジミチョウとジャノメの仲間が飛んでいたが、速度が速く止まらないので撮ることができなかった。
 マルバマンサクが咲いていて、際立っていた。ここにはサンシュユはないようだ。

 ゆっくり歩いていたにもかかわらず、あっけないほどで万葉ラインに着いてしまった。ここから頂上までは5分ほどである。カタクリが咲いている。

 頂上直下で後から来た年配に人に抜かれる。

 急ぐ理由はないので、ベンチに腰を掛けて水分を補給する。風は少し強すぎる。
 汗などはかかないと考えていたが、汗も少しでていたので上着を脱いで下山する。
 さて、どのルートにするか。空の状態は今にも降りそうである。そのとき、以前新聞に役所がガイドブックを作って無料で配布しているという記事を思い出した。そして、交流館でもらおうともと来た道を戻る。
 カケスのような声がする。アオゲラのような声も聞いた。聞いたことのない声もあったが出会いはなかった。空にはミサゴが飛んで行ってしまった。

 3部もらってきたので、他の方にも渡す予定である。
■「とやま山と人」(佐伯邦夫著、北日本新聞社、2016年)を読む。
「生きるも命、死ぬも命、何を恐れることがあろう」
「〜昔の文人は、修行の一つとしてしばしば高山に登った〜」
「植物採取のヘラと木鋏を突き立てながら、一歩一歩登ってゆくのである。」
ライチョウ氷河時代の生き残りとされる。だからライチョウのいるところは氷河があったしるし、〜」
「〜室堂に詰めている自然解説員もいるが、いったいどんな解説をしているか分かったものではない。」
「“谷”を“沢”と呼ぶ(信州の習慣)〜」
「〜田部重治はおらが県人〜今は富山の市街地になって、県立中央病院などのあるあたり。」
「この頃は、ことさらに“万全の準備”云々のことがやかましくうんざりする。万全どころか行き先さえも決めないままさすらうこと(人)だっていくらでもある。登山の技術は、つきつめれば“臨機応変”じゃないかな〜」
立山の一等三角点は、雄山頂上ではなく、少し手前の五ノ越にある。」
「金にさえなれば慎みや品性はどうでもいいのかーーー自然に対する畏敬や尊厳などとうに忘れてーーー。」
「〜富山の県立中央病院で入院ぐらし。持病の心疾患の軽重の波に伴う〜」
日本百名山選定者の深田久弥は、それに数倍する山々を跋渉した上で選定にあたったといわれる。」
「〜登山界(という狂気の集団)〜」
「〜アルピニズム(=飢餓的登山)〜」
新田次郎は、“超”のつくほどの常識人だった。誠実で、そして努力をいとわぬ生活・・・。」