呉羽山

呉羽山
 今日もいい天気である。久しぶりに呉羽山を歩こうと決める。時期的に人が多そうなので静かなコースを選んだ。ファミリーパークから御鷹台までの周回ルートである。
 さっそく、きれいな声の野鳥が啼いているが、なかなか見えない。
 何か飛んで止まったので撮ったら、コゲラであった。

 何回も立ちどまって狙っていたが、お目にかかることは出来なかった。
 ゴールに到着である。

 帰路は別のルートを通る。ここでも野鳥が啼いていたが、撮れずであった。
 かろうじてエナガを撮った。

 大きな鳥が鳴かないで木に移った。ヒヨドリであった。

 今の季節は花もいい。ウワミズザクラの木があちこちで満開のようだ。

 帰りに神通川の土手へ降りると、ギョギョシーの声がする。お出ましである。
 しかし、近くに聞こえているのだけれども姿を現さなかった。
 代わりに、ムクドリを撮る。

 帰宅後、家人に言われる。「毎日毎日遊んでばかりで〜。」と来た。その後に続く言葉が重要なのである。まさか、仕事をせよとは言うまいと考えていたが、「草でもむしってよ。」であった。「アイアイサー!」
 午後からは草むしり、2袋と洗車をやり、汗が出たのでシャワーを浴びてゆっくり昼寝である。今日もいい一日であった。

■「言葉が鍛えられる場所」(平川克美著、大和書房、2016年)を読む。(その2)
「言葉を最も大切にしている者は、言葉を信じられない者であり、それゆえに、その行先をどこまでも探し求める者なのです。」
「ひとが、歌に惹かれ、その一節を口ずさむのは、どこかに、自分が感情移入するための、取りつく島が必要なのです。」
「労働者は、労働力を売って商品を作り、それを市場で買い戻す」(マルクス
「わたしたちの世界を形成している、基本的な資源はすべて自然であり、自然からの贈与であるわけで、本来それらには価格が付いていないのです。」
「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によってぼくは廃人であるそうだ」(吉本隆明
「〜人間というものが今よりも尊大ではなく、自然に対する慎み深さというものを共有していた時代の価値観〜」
「わたしたちが、自らの文明的進展の中で忘れ去ったもの、あるいは、貨幣経済の陰に隠されて見えなくなっているもの〜そこに与えられる言葉は“愛”というほうが適切〜」
「身近なひとの言葉は退けられ、遠くのひとの言葉は届けられる」(吉本隆明
「大事より些事が大事」