動けず

■動けず
 今日は環水公園でモーニングバードウォッチングが行われ、自分は当番の引継ぎがあった。昨日の天気予報は降水確率70%で雨の中を歩くことを覚悟していた。
 目覚ましを5時にセットしたが、4時45分に目が覚める。年寄りは朝が早い。
 窓から外を見ると空には青空が広がっており明るい。しかし、西の空にまっくろな雨雲が迫っている。まあ、2時間は持つだろうと楽観視したものの、30分ほど早めに自宅を出る。いい天気の中を気持ちよく歩いていた。ツバメを撮る。

 今日の予定はもう一つある。環水公園の近くの病院に行くのである。最近、体調が悪く、薬も数日しかない状態である。年に2回、血液検査をしてBNP値を測定している。この数値によって悪化の進行程度を判断している。ある数値を超えると手術になる。
 いつもの習慣で朝食後に薬を飲むので、6時から開いている蕎麦屋さんに入る。
 そして、北口への地下道を通り環水公園に向かう途中でポツリポツリと来たため、リュックカバーも付け、万全の状態で向かう。体育館の近くで嵐である。雨は斜め45度で降っており、風も強く白い塊となって吹き荒れる。落雷も目視で確認できる。
 緊急避難で体育館の駐車場で待機する。まだ、40分ほど余裕があるのでその内止むだろう。止まない雨は無い。しかし、ひどくなったり弱まったりを繰り返すもひどい状態で、一歩も動けず。
 10分前になったので、嵐の中を観察小屋に向かう。傘など役に立たず、ほとんどずぶ濡れの状態である。ワイルドだねえ!
 8名参加で14種の確認であった。
 カルガモの子連れである。(図鑑登録)16羽いるはずが13羽しか撮れず。

 近くにアオサギが止まった。アオサギカルガモの雛を捕食するという。そのため、直ぐに藪に隠れた。

 観察会が終わるころに雨が上がったので、イワツバメも見に行く。しかし、暗くて上手く撮れない。飛んでいるところなどは無理に近い。まあ、これでいいか。

 コシアカツバメ情報もいただいており、楽しみが増えた。
 医者へ行くときは暑いくらいに日差しが照り付ける。血液検査を頼んだら、朝食を食べた場合は数値が変わるので、来週来てくれとなってしまった。(しまった!)
 駅へ向かっている途中、西の空は雨雲が控えている。手には引継ぎ書類があるので、電車で帰宅することにした。
 しかし、最寄りの駅へ着いて再び大雨、嵐で一歩も動けず。書類をリュックに入れて帰宅する。
 窓を開けたが、寒い。扇風機も不要である。
 メールをチェックしていたら、ウイルスバスターの保証期間が切れるので金を振り込めと言う。高いが保険のようなものだと印刷してコンビニに向かう。外へ出たついでに、どこかへ行こうと考えていたが、またしても西の空に雨雲が立ち込めており、すごすごと帰宅する。
 今日は動けない日であった。昼寝をすると夜眠れないので何とか起きている。

■「人生の踏絵」(遠藤周作著、新潮社、2017年)を読む。
「私は大説家ではなく小説家ですから〜」
「〜私たち一人ひとりにも“時代の踏絵”、“生活の踏絵”、“人生の踏絵”があった〜」
「われわれ小説家は、みなさんと同じように人生がわからないでいて、人生に対して結論を出すことができないから、手探りするようにして小説を書いていっているのです。」
「人生が魅力あるもの、キラキラしたものではないからこそ、われわれは捨ててはいけないと思うんだ。」
「どうせ、私はあんまり長生きできないだろうしね。あんまり長生きしても面白くないだろうし。」
「自然描写は登場人物の内面の反映か、あるいは内面のもっと奥にあるものの反映として、小説家は書くんですよ。」
「〜本当の人間を書く、嘘の心理は書かない、ということが大事なのです。」
「〜作品の舞台を味わうのは歩いた方がいいやと思って、ずっと歩いて行きました。」
「〜同じ言葉を繰り返すと文章は悪くなるに決まっている〜」
「絶望が最大の罪」
「〜神はあんたのほうに無関心じゃない。」
「愛に打ち込み、愛の無力を味わい、すること、なすことにすべて失敗して、最期は血を吐いて死ぬ。」
「小説というのは、やみくもに書くのではなく、自分の視点から書くものです。」
「たくさんの思想や、たくさんの運命を生きられない〜」
「そこに行くと、後で出てくる水上勉という男は、名前通りスイジョウベンで水の上に便が浮く、実に頭のいい男だから〜」(柴田錬三郎
「人間は誰でも一つや二つは絶対に、死ぬまで人に打明けたくない秘密があるものだ」(正宗白鳥
「〜道徳や常識からハミ出してしまうもの、社会から拒絶されていまうものが人間の中にはある。〜しかしそれはマイナスではなく、プラスのものを人間に与えてくれるのではないか。」
「神も仏も、道徳的に正しい人間ばかり相手にしていたら嫌になってくるだろう。」(河合隼雄