スロージョギング

■スロージョギング
 今日は朝から指令が多かった。洗濯物を干す、茶碗を洗う、浴槽を掃除する、ダンボールを出す。一息つくと、もう昼であった。
 カメラを手に取っていつもの場所を確認することにした。こういう状態だと少しは元気になっているのだろうか。空は積乱雲が大きく立ちのぼっており、日差しは初夏である。風も適当にあるので、窓を開けて走らせる。
 この場所では、昨年からホオジロハクセキレイを狙っているのであるが、ホオジロハクセキレイはいるが、なかなかレアな野鳥のようで出会いがない。

 家人を迎えるには早いがかねてから考えていた通り、時刻まで運動することにした。まあ、いきなり無理はできないので、スロージョギングと称して約4kmほどこなす。途中でウォーキングのご婦人に抜かれたので、最期の一周は早めに走り抜き返した。

■「不要なクスリ、無用な手術」(富家 孝著、講談社現代新書、2016年)を読む。(その2)
「どんなクスリでも副作用がある」
「基本的に病気を治すのは、私たちが自然に備えている免疫力であり〜」
「医者任せ、病院任せではダメだ〜」
「降圧剤を飲む目的は、血圧を下げるためではなく、高血圧が原因で起こる脳卒中や心臓病などを防ぐためだからです。」
「降圧剤〜それまで飲み続けてきた方が急に止めると血圧がリバウンドして、脳出血脳梗塞のリスクが増します。」
「たとえば抗凝固薬のワーファリンには、脳出血や消化管出血のリスクがある〜」
コレステロール〜スタチンには筋肉が溶ける横紋筋融解症という副作用もあります。」
認知症薬は認知症の進行を止めるクスリではありません。」
「〜クスリというのはただ諾々と従って飲むものではけっしてないこと。そして、やめる勇気を持たなければいけない〜」
「代表的な抗がん剤の延命効果は、長くても4カ月です。」
「ひと昔前と違って、いまはがんと診断されても慌てる必要はまったくありません。2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死んでいく時代です。」
「お金持ちだけが健康で長生きして、普通の高齢者は治る病気も治療できず死んでいく」
「〜手術をけっして医者任せにするべきではありません。」
「私は、できるならがんで死にたいです。その理由は、よほどの末期でなければ、死ぬまでに十分な時間があり、いろいろなことを整理できるからです」
「現在の超高齢社会の大問題は、終末期、つまり人生最後のときにどのように死んで行けばいいか、誰も明確な答えを持っていないことだと思います。」
「生きている目的は死ぬことですよ。だとすれば、見事に死んでみせようとするためには、今死んでも大丈夫なように生きるしかないんですよ」(僧侶の無着成恭氏)
「〜日本は寝たきり老人大国です。」
「食べることは生きることとよく言われます。ならば、それが自分の力でできなくなった場合、はたして本当に生きていると言えるのでしょうか。」
「人工的に生かされることは人間として生きていることではない」
「自然死とは、実態は“餓死”なんです。餓死という響きは悲惨に聞こえますが、死に際の餓死は一つも恐ろしくない」(中村仁一氏)
「自然死は病気ではありません」(〃)
「大往生するためのいちばんいい死に方は自然死です」(〃)
「餓死は安らかな死に方である」
「人間には生きる権利があるなら死ぬ権利もある」
「〜私たちは健康であるうちに自分の死に方を真剣に考えておくべきという結論に達します」