柿ジャム

■柿ジャム
 今週は木曜日まで予定は入れてない。朝、家人を送り届けてからコーヒーショップで読書という久しぶりのゆっくりした時間が持てた。平日の朝は、空いていて快適に過ごせる。もちろん、マイカップ持参なので割引も受ける。
 実は朝から眠い。これには訳があった。昨日の深夜放送(今日の・・・というべきか)を何気なく付けたら、城山三郎さんをモデルにしたドラマをやっていた。過去の放送で要望の多かった放送を再放送するという番組である。
 城山さんの作品は20代から好んで読んでおり、半数は読んでいると思うが正確ではない。特に、20代のころに読んだ、毎日が日曜日、という作品は定年後の準備に役立ったと考えている。少なくとも潜在意識の中に刷り込まれていたようだ。
 3時近くまで放映されていたので、その後4時間ほどしか眠っていない計算になる。
 家人からの指令は3点であった。靴箱の取っ手の修理、マスク一箱購入、かぼちゃを切る事である。ありがたいことに、この時期かぼちゃを2か所でいただくことができた。しかし、切るのに力がいるので自分の出番になったようだ。
 コーヒーショップでは、樹木が強い風にあおられて揺れている様子が良かった。これだけでも、お金を出している価値があった。
 買い物を終えて昼近くに帰宅し、靴箱のネジにシールテープを巻き直したつもりとし、自分の予定に取り掛かる。カボチャは、1cmほどの厚さに切り、種を取る。簡単な作業であった。
 包丁を持ったついでに、柿ジャムを作ることにした。これを終えて昼食にすればちょうどいいだろう。
 まず、柿を徹底的に洗う。皮ごと使うのでスポンジを使って洗う。
 そして、ヘタを取るが、半分にしてから取れば取りやすいことを発見した。

 参照したネット情報では、煮詰めながら種を取るようになっていたので、もう半分に切って鍋にかける。

 しかし、ここで悩んでしまう。煮詰めるのなら小さく切った方が早いのではないか。そこで、ミキサーを物色したが日ごろ家事をしていないので場所が分からない。まあ、ある程度果肉を残した方が自分好みになるということで、種を取り小さめに切り直すことにした。

 続いて砂糖を入れるが、果肉の20%相当と出ていたが、テキトウに入れる。この場合のテキトウというのは、最適な分量という意味ではなく、いい加減という意味である。もともと甘柿なので砂糖は少ない方がいいだろうという安易な発想である。

 中火でグツグツと煮込む。容積は半分ぐらいになった。

 その後は、ひたすら潰す。スプーンやフォークなどいろいろ試したが、スプーンの背で押し潰すのがいいようだ。しかし、指が痛くなってしまった。
 もう完成である。実際は、手が痛くなったので完成にしてしまった。

 冷ましながらも潰し続けて、タッパに入れて冷蔵庫で熟成保存である。たぶん、明日は食べるだろう。途中味見してみたが、比較材料がないので旨いとも、不味いとも言えず、当然ながら柿の味しかしなかった。

 終わってから急激に眠気が襲う。迎えに行くまでに少し時間があるので、タイマーをセットして昼寝である。昼寝は我慢しないようにしている。体のサインだからである。起きたら、雨が降っていた。

■「狩猟家族」(篠原悠希著、光文社、2016年)を読む。
「最も生態系を破壊している人間が、環境保全を口実に殺していい動物を決めるのはどうか〜」
「自分という個が溶け失せ、風に揺れる草、あるいは草を揺らす風そのものになってしまった幻惑感。本当に、自然の一部になってしまったようだ。」
「生き物は、こんなにあっけなく死ぬのだという。」
「魚を含め、野生の動植物は大地の恵みで、収穫物をおいしく食べることは、自然への感謝と賛美だ〜」
「自分が管理できるだけの規模で自給自足するのが、彼女のライフスタイルなのだ〜」
「使わなければ脳も衰える。」
「〜今年伐った木は、一年かけて乾燥させる〜」
「人間も動物も、闘病の終わりに旅発つ前に、急に元気になることがあるの。」
「どんな大事な相手でも、いつ離れ離れになるかわからないし、二度と会えなくなるかもしれない。」