三時間

■三時間

 家人が自転車で通勤するというので、止めさせる。今日も予定が目白押しだ。朝、家人を送って行った後、一作業を行い帰宅する。直ぐに、子どもが歯医者へ行くというので、駅まで送って行き、帰りしな造園学校に電話しアポを入れる。

 ちょっとやっかいな松の木があり、相談を申し入れていた。結果、「どうにもならない」という結論であった。♪ウララ ウララ ウラウララ~。

 昼食は、外は暑いが部屋の中はエアコンが入っており涼しいので、カレーラーメンを作る。ご飯が少し残っていたため、麺を食べた後のスープカレーのようにするためである。あらびきウインナーも5本添えた。やはり、まだしょっぱいね。カレーの量が多いのだろうか。

 そうして、本日のメインイベントである。タイヤ交換とドライブレコーダーの設置である。子供たちが帰省するので、車は万全の状態にしておきたいという家人の意志であった。

 タイヤは少し高めのを選び、レコーダーも最新のを選んだので大きなお金が動いた。やはり、車は金食い虫だね。

 問題は、待ち時間である。何時まで待てますか?から会話が始まった。自慢ではないが、こっちはおかげさまで予定がないので、家人を迎えに出る17時と応えたら、それなら何とかなりますと、先にお金の支払いを求められた。 

 アイスコーヒー一杯はサービスであったが、そんなもので持たないので自販機で購入しながら待っていた。終わったのが3時間後であった。まあ、本を読んでいたのでいい時間であったと考えたい。

 家人を迎えに行く前に公園でスダジイの定点観測である。

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■「寂聴 残された日々」(瀬戸内寂聴著、朝日新聞出版、2020年)を読む。(その2)「この世も、あの世も無だ」

「私の経験から文学少女は得てして、掃除や料理は下手だと決まっている。」

「~白梅、紅梅、黒梅~」

「天才は頭の構造がちょっとおかしい。」

「~人間死ぬまで好きなことをつづけてなぜ悪いと~」

「~苦しまずに死ねるから、長生きしたいと~」

「出家してからの僧の年齢は法臘(ほうろう)と呼ぶ。」

「不義理ではなく、出席しないことが、礼儀なのだ。」

「~今ではなかなか死ねない人生が、人間の老後の不幸を招いているように考えられている。」

「私は出家とは、生きながら死ぬことだと思っていた。」

「~近頃ようやく“死”は“無”になるのではなく、“他界”に移るような気がしてきた。」

「ただ無私の忘己利他(もうこりた)の奉仕の報いが、この無惨な結果とは!」

「ぼくが死んでも、これは残るよ!」

「耳はほとんど聞こえなくなっているが、目だけはまだよく見えるので、退屈はしない。」

「歳を取るということは、実にむなしいことだとつくづく思う。」