親子で道草

■親子で道草
 今日は三番目が帰省する曜日である。高速バスでの出迎えのため午前5時に家人を起こす。そのタイミングで外へ出る。あまり聞いたことのない野鳥の声が近くでしているので、カメラを持ってうろうろする。しかし、ヒヨドリであった。幼鳥なのか、別の意味なのか鳴き声が違う。
 家人を職場に送り届けて、恐らく今日の唯一の自分の時間をコーヒーショップで過ごす。もちろんディカフェである。メールが届いたので、三番目をアルバイト先まで届ける。ここまでは、車であったが、次いで予約本を取りに図書館本館へ行く。歩くつもりでいたが、バス停にほぼ同時にバスが来たのでつられてバスの人になる。
 帰宅後、昼までは少し時間があるので、上着を買いに行く。ウインドブレーカーではこれからは寒くなる。年齢が上がると、高機能ウエアを身に着けてないと別の病が狙っているような気がしている。防水、防風、発汗という優れた上着があった。とんでもなく高額であったが、剪定でお金をもらっていると気を大きくし、大人買いをしてしまった。確かに、暖かい。
 昼はどうするか、三番目を迎えに行かなければならないので、一番近いファミレスにする。800円ほどかかった。またしてもワン・ダラーは失敗した。ドリンクバーを5,6杯は飲んだころ、メールが届き三番目を迎えに行く。
 次は帰宅にならず、いっしょにサーティワン・アイスクリームに向かう。お互いアイスクリーム無料メールが届いていた。店員の対応は妙にゾンザイだった。

 帰宅後、洗濯物を取り入れ、家人を迎えに行く。
 今日は、婦中町のショッピングセンターで、「親子で道草」イベントの打ち合わせがある。
 少し早く着いたのでイートインらしい場所で本を読んでいた。水サーバーが置いてあり飲んだ。そのカップの小ささには驚いたね。比較用にA4のパンフレットと並べた。

 ねいの里をチェックポイントでゲームをしたり、クイズを解いたりする企画にボランティアでお手伝いすることになった。私の役割が、村人ということで、道案内したり、写真を撮ったり、お茶屋の準備ということが分かった。
 帰宅は21時30分ごろで、久しぶりに残業の感覚がよみがえって来た。

■「おしゃれと無縁に生きる」(村上 龍著、幻冬舎、2015年)を読む。
「偏愛は、欠落と過剰の隙間に発生する。」
「私は個人的に、おいしいとか飲みやすいという言葉を使うことに違和感がある。」
「日本は全体的には衰退しつつある〜」
「心身の劣化は、誰よりも自分自身がわかっている。」
「〜インターネットを利用するようになって、読書量が減った。」
「経済力の強化以外、解決策はないのに、他に何か要因があるかのような幻想をメディアは垂れ流し続けている。」
「成功体験が衰退、凋落の要因となる〜」
「〜どの政党が政権を取り〜〜今よりさらに悪くなる可能性は充分にあるが、良くなることはない。」
「今も昔も、会社への忠誠心など、必要ないどころか、弊害しか生まれない。」
「〜六十一という歳で、物欲も枯れてきている。」
「今、元気なのはバカだけだ」
「自分の人生はこれで充分だと思えば、どんな人でも“幸福だ”と思うことができる。」
「〜金で信頼を買うことはできない。」
「好奇心を失わず、興味があることに積極的に接していれば、いつか必ず何かに出会う。」
「働いてこそ幸福、という世論が醸成されつつある〜」
「避ける、逃げる、休む、サボる そういった行為が全否定されているような社会は、息苦しい。」