室内運動

■室内運動
 今日は天気が悪く外へは出ない予定であった。そのため、家人の送迎もしないつもりでいた。しかし、帰省している三番目が新しいバイト先まで送って欲しいという。
 トリプルアルバイトは先月で辞めたらしいが、今度は10時から17時までのアルバイトという。車が一台しかないので、大急ぎで身支度し家人を送り、三番目を送る。
 せっかく外へ出たのだから運動でもしようかと思っていたが、寒い!
 そこで、コーヒーショップに入り、至福のひとときを過ごす。
 帰宅後、昼食を食べ少し眠る。そして、いよいよ室内運動を始めた。肥満が危険域に達しており、なんとかしなくてはと焦る。これまでのように、リバウンドで失敗しないように、代謝で落とすべく筋肉をつけることがよさそうだ。
 先日テレビで見たトレーニング方法を取り入れる。階段を利用した踏み台昇降である。結構利く。そして、斜め腕立て伏せや腹筋をやるも疲れが尋常ではない。
 まあ、初回はこのくらいにしておこう。これを生活習慣にすべく隙間時間を見つけてやろうと決心した。しかしこれで、何十回目の決心だろうか。

■「人生という花」(小檜山 博著、河出書房新社、2017年)を読む。(その1)
「もともと時は止まったままで、人間とか地球とか宇宙だけが動いているのではないか。」
「一回しか生きられないのに、おカネや欲望にのめっている場合であるはずがない。」
「いま日本一の芝桜を見ることができる滝上公園も〜」
「春の枝に花あり、夏の枝に葉あり、秋の枝に果あり、冬の枝に慰めあり」(内村鑑三
「〜自分に自信がない人間が、うまくいかなかったことを運が悪かったと思おうとするのは、情けないが楽でいい。」
「〜自分の思慮を深くする努力が足りなかったことに気づいてじたばたするのをやめ、自然のありよう以外には生きようがないと思いはじめた。」
「この世を生きてゆくうえで、やっかいなことの一つは、人の心の中にある邪(よこしま)なものと美しいものがないまぜになって現れたり、消えたりすることだろう。」
「人生、思うようにならないところに生きる力がひそんでいる気もする。」
「〜若いころは一度や二度、何でもいいから有名になりたい、立派になりたい、カネも欲しい〜まことに品性に欠けたみっともないことを思った時期がある。」
「貧乏人にありがちなカネを見下げようと強がって見る。」
「ある経営者は“収入がいいのは努力したから”といい、貧乏なのは“努力しないから”と明快だった。」
「〜おカネを神にしてしまったいまの世の中に苛立ちつづける〜」
「自動車一台作るのに必要な水は百二十トン。肉牛一頭育てるのに二千トンの水が必要である。一キログラムの小麦を作るのに一トンの水がいる。そしてわれわれ人間が一日に使う水は二百八十八リットル〜水は命だ。」