ウォーク

■ウォーク
 朝方はどんより曇りである。予報では雨は降らないようだが寒い。今日も車が使えないので早朝散歩後コーヒーショップで過ごす。日曜日の午前、公共施設の中にあるのでいつもは多勢の人で賑やかだが、貸し切り状態の時間帯が続く。自分が入るまでBGMさえ切ってあった。静かな中で過ごすひとときは人生を浄化してくれるようだ。カタルシスだなあ。昼近くになってにわかに青空が出て来た。昼は自宅で済ませてから外出することにした。昨日は、昼寝をしてしまいなかなか寝付かれなかったため、今日は昼寝対策しなければならない。
 少し遠くまで行こうと決めたが、無目的では面白くないのでハクチョウを見に出かけることにした。自宅から歩いても10kmほどだろうとタカをくくっていた。
 散歩とウォーキングの違いを自己流に表現すれば、腹の突き出たみっともない老人がみすぼらしい恰好をし、瓶底眼鏡をキョロキョロさせ、分不相応なカメラなど下げてちんたらと歩くことまでは同じだが、歩いていると意識するのがウォーキングと考えている。
 通りからもハクチョウの姿が確認できた。20羽ほどいるようだ。しかし、大半が飛び立ってしまった。


 ハクチョウの中に別の鳥が混じっていないか目を凝らしたがいなかった。
 帰宅後、地図で距離を測ると15kmほどであった。これで4時間もかかっている。しかも足の疲労感が激しい。まあ、今回はこの程度にしておいて、追々体を作って行こうとゆっくり構えている。

■「老愛小説」(古屋健三著、論創社、2017年)を読む。
「来る日も来る日も、図書館の窓から山をみて過ごしていた。」
「〜本が消耗品にしか過ぎない現代の図書館〜」
「人間の本質は変化だから、言葉では把握できない闇〜」
「まじめな話、あなたは人生に意義があると思っておられるんですか」
「〜抑圧に耐えられなくなると、京都に行き、庭をみて歩いた。」
「人間が生きるってきたないね。」
「〜実業家、政治家といった、この世を動かす、空っぽの人間が集まってくるんだ。」
「決まりきった、なんの変哲もない日日の重なりだった。」
「〜生まれ変われるなら、今度は樹木になりたい。」
「充実した人生を送っている人はそんなにふらふらあちこちみて歩きませんよね。」
「死を自覚すると、どんなに若くても人間は自分の道を歩き切るのかな」