無題

■無題

 数日前からくしゃみ、洟、鼻詰まりが起こり、すぐに咳込むようになった。いつもなら、医者へ行っている状況であるが、様子見で数日過ごす。医療機関に支払うお金を節約したいというのが理由である。今朝になって少し緩和してきた。自分の身体の抵抗力に感謝したい。所詮、人間の身体は、外的から守るようになっているので、これを強くしていきたい。

 咳き込んでいる間は、食欲がなく、実質上夕飯は抜いているに等しい。体重を落とそうという気持ちは少ないが、自然の摂理の一環でこうなるのだろうと考えている。

 家人からマスクをして欲しいと言われる。マスクさえすれば遠慮なく咳が出来ると考えてしまう。まあ、店に居る時はマスクをする。これで飲み物を飲む時は、いちいちマスクを顎までずらして飲むことになる。

 三番目が帰省しているので、行動が制限される。と言うか、家に居た時の状態に戻る。午後からコーヒーショップへ行きたいという。電源と無料wi-fiがある場所にして欲しいとのこと。東京では、ほぼ標準装備なのだろと予想する。

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 出掛けに郵便が配達される。いよいよ太陽光発電の買い取り期間が終わるというお知らせであった。良く働いてくれたものだ。売電が出来ているので、昼間の電気代はかかってないと考えている。問題はその後である。売電期間が終わっても壊れない限り発電はするので、昼間はこの電気で賄ってくれれば助かる。

 太陽光発電は当時、我が家では大ブーイングであった。採算は取れないというのが最大の理由であったと記憶している。そこで、ちょうどマイカーを買うお金で設置した。だいたい車1台の金額と同じであった。結果、マイカーを放棄した。当時、マイカーが無ければ不自由になり、それを我慢するなら何も言わないという暗黙の了解があった。確かに不自由なことは多かったと思う。何も知らない人たちからは、ザマミロと蔑まれたこともあったと思う。その後、政局がいろいろ動き買い取り価格は変動してきたが、自分の考えは、売電で儲けようとは考えず、昼間の電気代が少なければそれでいいと考えていた。売電のお金はオマケという感覚である。したがって、空き地で太陽光発電をしているのを見ると、大丈夫なのか?と心配になる。

■「百年泥」(石井遊佳著、新潮社、2018年)を読む。

「人はあまりお金を借りすぎると、脳内が不思議な物質でみたされる~」

「~これさいわいと活用することだった。」

「~おばさん風おじさん~」

「~心理的虐待~」