雨天中止

■雨天中止

 今日は体調を崩してから初めてのフォレストリーダー活動である。いまだに体調は完全ではないものの約2ケ月ぶりの活動になる。場所は頼成の森で、県主催の森の祭典への参加希望を出していたら、10名の枠に入ったようだ。連絡メールには雨具持参とある。

 送迎バスがあるので楽である。朝5時過ぎに起床し、朝食のハムチーズトーストを作り、7時22分の電車で向かうべくゆっくりと準備をする。薬の服用も忘れてはならない。心臓の薬2錠、目薬2滴、風邪薬3錠、胃薬2錠といつもより多い。

 外は霧雨状態で傘が無くても歩ける。ホームへ行く前にコンビニで昼食を買う。15分ほど早く到着した。このくらいの余裕は欲しい。一人ホームのベンチに腰掛け、移ろう季節を味わう。他の方も集まり出したと思っていると、スマホが鳴る。会長からの連絡で行事は中止になったということであった。

 電車に乗る前だったので運賃は無駄にはならなかった。さて、今日はどうして過ごそうかなどと考えながら歩いていたら結論が出る前に自宅に着いてしまった。予定が決まるまで、自然系の番組を見ながらうとうとしていたようだ。

 このまま家にいては、だらだらと過ごしてしまう。別にその事が悪いこととは思えないが、やはり貧乏性なのだろう、身体はセカンドオフィスへ向かっていた。

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 日曜日とあって若い方が多かった。皆さん、問題集に取り組んでいるようだ。BGMの軽快なビアノの旋律でリズムを取りながら備え付けの新聞を眺めていたら睡魔がやって来た。こんな時は、抗うことなく目を閉じる。

 最近あまり本が読めてないので読書をしようと決める。記憶は遠くデータも古いが、一年間に出版される本は6万点だと何かで見た。そして、誰かは忘れてしまったが、やはり本が読めてないと書いてあった。その方は、毎月100冊ほど読んでいたらしいが、それでも全体の10%にもならないと書いてあったことを思い出していた。まあ、数が多ければいいとは思えないが読まないよりはいいだろうと気休め程度と考えてしまう。自分の経験では、本を少し読んでいて良かったことは、新聞、テレビ、雑誌、ネットに書いてあることをあまり信じなくなったことぐらいだろうなぁ。というか、記事の裏側というか目的や意図かなんとなく見える。敢えてでたらめとは言わないけど、胡散臭い内容が多い。こうした情報に引っ掛からないようと過ごしたいなぁ。

 ♪失業老人にも昼が来る~。昼を過ぎてようやくお腹が鳴る。面倒なので外食にしようとファミレスに入った。ガーン!日替わりランチがない。日曜日はないのであった。そこで、倍ほどするランチにする。ドリンクバーが付いてないので割引券を探すと出て来た。しかし、期限切れである。ダメ元で聞いたら割引券が使えた。

今日は散財したので、健康のためにも夕飯は抜こうと決めた。と、思ったが、朝買ったパンがあることを思い出した。

■「星の降る森で」(本山賢司著、天夢人、2018年)を読む。

「自分の生まれ育った家が、いや町が、腐って朽ち果ててゆく。」

「~雑木林の植生の調査をボランティアではじめたのだ。」

「季節ごとに雑木林に出かけてくると、必ずといっていいほど新しい発見がある。」

「~景気がいいのは斎場だけだ。」

「~長い間地図を使っていると、そのように省略された表現の裏に隠れている地形のニュアンスが、おぼろげながら読めるようになる。」

「~畑を耕し書を読んで暮らした。」

「文献を読み続ける研究生活~」