めまい

■めまい

 昨日は夕方までなんともなかったが、寝ようとしたときに、今まで経験したことのないめまいがした。家人に病院へ連れていってもらおうとした。しかし家人は、直ぐに熱中症と判断した。医療系なので見立ては自分よりもましである。熱中症には3段階あると講習会で習った。調べると今の自分の状態は重症度Ⅰであった。歩けたので病院は不要と考えたとのこと。原因が分かれば安心する。急ぎ登山リュックの中から熱中症用のタブレットを取り出し舐める。自分のように高齢者でかつ心臓の薬を服用している人はなりやすいとある。

 エアコンは寒いくらいである。それでも、少し眠れたようだ。朝5時に目が覚め、エアコンを切って窓を開けようと立ち上がったとたんふらついて倒れた。メガネを踏まなくて良かった。まだ、治ってないようだ。♪時は 私に めまいだけを 残して行く~。急ぎ、タブレットとお茶を飲む。これは熱中症ではないという予感がする。

 朝食後、念のために掛かり付けの病院へ行く。もちろんバスである。日射しがあったので雨傘を日傘代わりにして歩く。やはり熱中症ではなかった。「良性発作性頭位めまい症」という診断であった。原因は加齢である。処方箋を貰ったので急場のしのぎにはなろう。4~5日で落ち着くとのこと。

f:id:zen_chi:20190723181807j:plain

 帰りは炎天下、雨傘をさして歩く。さすがに汗だくになった。サラサラの汗なので引けば問題ない。冷静に考えれば、毎日汗だくになっている自分がその原理から熱中症になるはずはない。涼をとるために図書館に入り、昼飯の予定を立てる。あぁ、食欲がない。暑いので冷奴にざるそばかな。これなら50円ほどで済む。気分は中華である。目の前にデパートがある。ランチで1400円ほどである。どちらにするか大いに悩む。

 お腹が空いている時にスーパーへ行くモノではない。あれこれと買っていったら千円を越してしまった。お金だけを考えると外食の方が安い。

 医者からは、特に治療はなく、目を閉じて安静にすることであった。つまり眠っていろということのようだ。帰宅後、エアコンを入れる。今日のような日射しが出ておれば太陽光発電で電気代はかからないはずだ。しかし、人間、そんなに眠ってばかりも出来ない。テレビもつまらない。

■「夫の後始末」(曽野綾子著、講談社、2017年)を読む。

「~高齢者には、ひがみと自信の双方があって自然だ。」

「理想の生活などこの世にあるはずがない~」

「年を取ると、何でもありですから」

「すべてのことは過ぎ去るのだ~」

「野生動物は自然の草の葉を噛んで自分を治す。」

「会話は、老化を測る一つの目安だ。」

「遊ぶということは人間を寛大にもすれば、耐える力も与える。」

「私たちは自然に老い、生命の糸が燃え尽きる時に死ねばいい~」

「食欲がないということは、生の拒否の情熱に繋がっていて~」

「奉仕とは、うんことおしっこの世話をすることなのだ。」