資料作り

■資料作り

 今日は朝から慌ただしい。まずは、ゴミ当番である。6時過ぎに起床して収納ボックスを開く。そして朝飯前に、次回の担当者に道具類を持っていくべく準備をする。そして、朝食を食べた後に、家人を職場に送り届けて、その足で道具を持って行く。

 今日の予定は、講座の資料作りである。学校との打ち合わせは今日の夕方に申し込む予定である。少し遅い動きである。自分が担当になればよかったと悔む。やはり、出前講座担当者が打ち合わせに参加しないというのは二度手間になる。まあ、今回は自分の出張と重なったのであるが・・・。担当者が出前講座を引き受ければいいのだろうが、今回は自分が指名された。何か別の意図が感じられるが気にしないでおこう。

 学校先生との直接の打ち合わせがまだなので、こちらで描いたストーリーが受け入れられるかどうかは不安であるので、パワーポイントには入れず、素材集めとレジメ作りを行った。これだけで、クタクタである。小学校の教科書も預かることが出来た。自分が小学生のころにはこんなこと習ったかと思う内容ばかりである。

 午前中が終わったが、午後から取り組む意欲は無くなった。頭はボ~ッとしており、正常な判断が出来ないような感じである。車の運転は大丈夫だろうか?

 昼はどうするか。毎日悩ましい問題である。一人の場合、外食の方が手軽で安上がりであるが、やはりスーパーへ行って千円ほど買ってしまった。そして、昼寝である。

 気が付いたら、出かけなければならない時刻になっており、慌てて車に乗る。

 頭が病んだら、樹の実拾いである。一年のうちで今の時期しか採れないので、積極的に行う。フォレストリーダーで問題意識のある人は、たいてい似たようなことをしている。この樹の実拾いは、かなり疲れる作業である。今日のように隙間時間の中で少しづつ行うのがいいようだ。

f:id:zen_chi:20190903191159j:plain

 大きな栃の実が落ちていた。落ちたては皮が腐食していないので綺麗である。腕時計と比べればその大きさが分かると思う。これを見た家人は栃餅でも作ればというが、その場合はこの100倍ほどの量が必要であろう。

 学校に連絡したら、先月担当者と打ち合わせしたと言われてしまい、電話で用件を伝えて終わった。

 時計がオカシイ。先日、電池を交換して時刻合わせをした後、数日は何ともなかった。しかし、気が付いたら文字盤が消えている。また、壊れたかと放っておいたら、めちゃくちゃな時刻で表示された。そこで、時刻を合わせようとしたら、出来ない。「分」だけ合わせて、放っておいたら、今朝、時間も分も正しい表示になっていた。そこで、また腕に付ける。もうこうなったら、いつ壊れても仕方がないと思うことにした。

■「この地上において私たちを満足させるもの」(乙川優三郎著、新潮社、2018年)を読む。

「単なる人生の素人」

「読書の意義は共感することよりも自分とは違う人間を見つめることにあると思う。」

「~ひとりで食事する老人が多い~人生の愉しみを日に一度の外食に見出す人たち~」

「失業者の多い国で乞食を生業にして生きてゆけるのも不思議なことであった。」

「真の知に至る出発点は無知を自覚することにあります。」

「理解より直感と実践さ~」

「~そもそも親譲りの不器用と繊細な労働に向かない人間だからね」

「~昔も今も貧しい者が貧しい者を救う」

「~教育ほど大切なものはない」

「~余命を計算したりもした。」

「~つまり必要なのは新しい感覚とアイデアとそれを実行する勇気で、専門知識や既成概念に凝り固まった人間の否定的な意見ではない」