ぼやき

■ぼやき

 朝方は雨が降りそうであったが、曇りであった。限りなく雨に近い曇りという感じであった。歩いていると霧のように思えたがめがねは曇らなかったので降ってなかったのだろう。今日も予定がなかったのでアーケード内を歩くことにしていたが、結局降らないので遠回りしてセカンドオフィスへ向かう。途中、爆音が鳴る。この時世では銃撃事件かと思うではないか。とっさに避難場所を探していた。しかし、何かの行事開催を案内する花火のようであった。それにしても、心臓に悪い。アーケード内に入るころにも2回目の爆音がする。距離が近い。100m以内のようだ。どこかの小学校のグランドだろうと推測する。

 セカンドオフィスで歩数を確認するとちょうど規定数の三分の一程度になっているので、帰りも歩けば午前中にだいぶ歩数が稼げることになる。

 セカンドオフィスでは、昨日嫌な思いをしたので、今日は大丈夫かと思いきや、またしてもあのオヤジが入ってくる。今日は一人であった。隣の二人連れに向かって大声で話し出した。自分の近くのテーブルに座って本を読んでいた青年は、コーヒーを半分以上残してそそくさと出ていった。くそッ!今日もか。そこで、これ見よがしに、耳を塞いで見せた。しかし、効果はなかった。1時間ほどしてご婦人方が帰られるので一緒に出ていった。もう来るな!と思った。昼になって混んできたので出る。

 帰りも歩くことが出来た。今日の昼は、久しぶりにラーメンを作ろうとスーパーに入る。2月までは、キャッシュレス生活なので野菜や肉はいつもの半分にした。まあ、この程度の方がラーメンらしくていい。

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 自分はキャッシュレスという言葉を”お金がない”という意味で使用しているが世の中は違う。現金を使わずにカードやスマホで支払うことのようだ。先ごろ、3,000ポイントが付くので”払え・払え”に加入できるというメールが届いたが、その手に乗るかと速攻で削除した。

 最近、出歩くことが少なくなり、部屋でテレビをつけるとCMばかりである。どのチャンネルもそうである。たまに、自然関係のいい番組だと見ていると、これがCMであった。最近、物が売れないのか、巧妙になっているので気を付けなければならない。

 特にコーヒーが高く感じられる。消費税増税前は内税で8%としていたものを、今回からは、店内とテイクアウトで税率が違うので止むを得ず、外税したのではと疑いたくなる。そうすると、18%の税率になるので、流石にそんなことはしてないと思うが、300円のが2%上がると6円程度上がると考えていたのが、何十円と上がっていたように感じるのは自分だけだろうか。

 そういえば、最近自分の常識が通用しなくなったと認識されることが多くなった。最近と言っても、5~6年ぐらい前からである。その一つに、PPAPというのがあった。これは、ピーパップと発音して、意味は生産部品承認プロセスのことである。しかし、ペンパイナッポーアッポーペンの方が広まっている。なんじゃこりゃ!

 さらに、「茶道」という言葉があると、自分は「さどう」と呼ぶことを疑わなかったが、テレビのアナウンサーは「ちゃどう」と発音している。もう、どうやらこの時代では快適に過ごせなくなったと感じた。

 さらに、最近「IR」という言葉が盛んにニュースから流れる。これは「赤外線」の意味しかないであろうが、統合型なんじゃらの略というではないか。はっきりと「カジノ法案」と言ったらどうか。耳触りのいい言葉ではもう国民は騙されないと思う。昔から、敗戦を終戦としたり、軍隊を自衛隊と言い換えたり、年金問題と医療費の膨張を防ぐために死ぬまで働けというのを、総活躍社会などと枚挙にいとまがない。

 自分の感覚が世の中とズレて来たと思ったら、もう終わりだろうね。いや、終わりで結構である。

■「いくつになっても」(中野 翠著、文藝春秋、2019年)を読む。

「残りの人生を社会に恩返し」

「好きな事だけ執拗に。興味のないことはすべてパスーー」

「~何よりも、笑って語られる人になりたいーー」

「“記憶”が、その人の“人格”の大半を形作っている~」

「ハゲはハゲること自体がイヤなのではない。ハゲが揃わないことがイヤなのだ」

「新聞に興味を失ったら私も終わりだーー」

「喫茶店病~」

「~人は自分の死を実感できない。」