春の風

■春の風

 天気予報によると今日は春の陽気という。気温が20℃を超えるとも報じている。こんな日は山へ行けばいい気持ちになるのだけれども、そういう気が起きない。その理由は、大きく二つと考えている。まず、しもやけがぶり返しており、靴とこすれると足が痛い。まあ、だいぶ緩和はしてきているが、完治はしてないもようである。そして、体調が悪い。なんか、いつもの疲労とは違う悪さである。患部付近が悪化しているようだ。今月は診察の月なので、お医者様に進言しようと思う。いや、以前も似たような症状で訴えたことがあった。その時の応えは、肋間神経痛だろうということであった。

 昨日は少しひどかったね。花粉症なのかどうか分からないが、ストレスの第一段階で指先が冷たくなった。幸い、これまでの経験でこの時点でリカバリーすれば第二段階に進まないと分かってきたので、暖かくして過ごしたら、ストレスは引いて行った。

 この原因は、明らかに昨日の事務作業であろう。日頃やらないことを、嫌々やっていると体が拒否反応を起こしているのだろう。

 ストレス対処方法の一つで、昔のフォークソングも聞いた。NHKプラスで見逃し番組も見た。ボブディランの”風に吹かれて”が、歌われていた。

♪♪ How many roads must a man walk down~

 朝一に、図書館まで歩くことにした。いい風は吹いていたが、5月の風とは微妙に違うようだ。でも、いい気持であった。遠くの方に花が咲いている。さくらの名所の松川沿いである。

 梅であった。

 図書館からセカンドオフィスへ向かうつもりであったが、買い物もあったので、今日は寄らずにスーパーへ向かう。いつも3枚入りのパンの6枚入りのが売っていた。

 いつか家人と買い物に来て、自分がこのパンを取ると、いつもそんな高いのを食べとるがけ、と聞いたが、自分は食事には節約しない考えであると応えた。

 セカンドオフィスへ行かなかったにもかかわらず、11時過ぎに帰宅である。やはり体が参っているのだね。今はあまり見なくなった歩数計を見ると1万歩を有に越えている。まあ、歩数などはどうでも良くなった。

 少し休んで昼食である。今日はスパゲッティである。トマト系が続いたので、今日はホワイトソース系にした。今日の主役はザーサイである。全部使わなかったので、ご飯が残ればチャーハンに入れてもいいかもしれない。スパゲッティがコンソメ味になったので、スープはコーンにした。

 まあ、普通に違和感なく食べることができる。もう少し塩を多く入れた方が良かったかも知れないが、自分は減塩生活を心がけているので、一つまみの4分の1ほどしか入れていない。 

 大いに昼寝をしてから、今日初めてのセカンドオフィスへ向かう。気が済むまで本を読もうと、いつもはショートサイズのコーヒーであったが、今日はミドルサイズにして席に着く。いざ・・・・・・。本を忘れて来てしまった。(トホホ)

 これは、何かのサインに違いない!

 とりあえず、店を出る。コーヒーカップは入っているので持って出る。

 いったん帰宅してから、公園に向かう。厄落しのいみである。

 凧あげをされているかたがいた。いい風が吹いている。

 つる植物が木に巻き付いている。葉が丸まってよくわからないが、ここで成っているつる植物は、スイカズラなので、そう決めた。しかし、違うかな?

 ハリエンジュは種子状態であった。

 機嫌を直して、セカンドオフィスをハシゴする。先の店のコーヒーも持ってはいる。

 まあ、こういう日もあろうが、春の風が引き立った日であった。


■「見果てぬ花」(浅田次郎著、小学館、2020年)を読む。(その4)

「Soy Sauce――つまり“大豆ソース”である。」

「それにしても、加齢とともにあらゆる欲望が減衰する昨今、食欲のみがいっこう昂進してゆくのは、これまたどうしたことであろうか。」

「よって今回も、日常の些事を書くことにする。」

「このごろ記憶力が減衰していることは認める。しかし、そのぶん想像力がむしろ増進しているのはたしかである。」

「つまり、年を食うと世の中が見えるどころか、いよいよわかがわからなくなる~」

「~世界の長寿村に共通する条件は“坂道”であるらしいが~」

「~ハゲでも散髪には通うのである。」

「しかし日本男児たるもの、公衆浴場では必ずフェイスタオルを携行して前を隠し、湯船に浸かる際には畳んで頭に乗せねばならぬ。」

「風呂は思索の場である。」

「どうでもよいことについて深く考えるのは、むしろ小説家の使命であろうと思う。」

「書物はナマモノと同じで買いたいときが読みたいとき~」

「加齢とともに肉体の感覚が鈍麻してきた。」

「味噌買う家に蔵は建たぬ」

「ビャンビャンメン~」

「~イタリアのナポリにスパゲッティナポリタンは存在しない。」

「松花堂は江戸初期の学僧であり書画家であった、松花堂昭乗の名にちなむ。」

「変わるな、ニッポン。」

「猫と小説家はその繊細さと身勝手さにおいて、同種なのである。」