うどん打ち

■うどん打ち

 今日は終日雨予報であった。朝家人の出勤に便乗して途中で降ろしてもらおうかなと考えていたが、年寄りの動きは遅く、便乗は叶わなかった。それでも、8時過ぎに出る。雨脚は大したことはなく、風もなかったので、このまま傘を差して歩いていくのが通例であったものの、外の気温は寒い。この寒さは老人には毒であると考えて、バスにした。

 いつものセカンドオフィスへ向かう。今日も前の職場のOさんの姿が見えたが目も合わさず。というか、喫煙室で見かけ、次に気が付いたらいなかった。なぜ、こんなに急いでいるのかが先日偶然分かった。Oさんは、近くの有料駐車場に駐車しており、その基本料金の時間内で行動されているようだ。

 昼まで粘る。帰りも雨は降っていたが、朝よりは気温は上がっていると勝手に推測して徒歩で帰る。今日の昼は、スパゲッティにするつもりでいたが、歩いていると寒くなり、熱いラーメンに変更した。具材はあるので、ラーメンだけ購入して帰宅する。今日から、新しい国産ニンニクを試す。やはり高いだけあっていい。粒が大きくて柔らかい。手順は体が覚えているのでスムーズに進んだが、コーンを入れ忘れていることに途中で気が付いた。そこで、一度解凍してから投入した。ニンニクの効果で身体中から汗が噴き出すので、ファンヒーターを止める。

 今日も金を使うぞと毎朝考えているが、ほとんど達成したことがない。食べ終わって、午後からコーヒーでも飲みに行こうと考えていたが、この寒さで出る気にならない。そして、前からやろうとしていたことを実践することにした。うどん打ちである。

 正確なことは分からないが、定年退職した人の一定数は蕎麦打ちをするそうである。自分もそういう願望はあったが、何かの本にそういう姿勢をけなしていたので、遠ざかっていた。そして、一食分14円で買えるので、作ることによる割高感もあった。

 先日、たまたまスーパーにうどん粉を売っており、思わず手に取った。最初は、道具を揃えてからなどと、幼稚園みたいなことを考えていたが、そんなものは不要である。ただ、伸ばし棒だけは買わなければと思っていたが、門松の竹で代用できそうと思い立った。

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 今日はこのままにしておいて、明日以降試そうと考えている。何回かは失敗することは織り込み済みである。そして、今回は手だけでこねたが、自分の特徴である体重が重いということを利用して足で踏んでみようとも思う。やはり、好みの極太麺が食べられるのが一番いい。これで3人前なので、最初は醤油だけで行こうと考えている。

■「認知症がやってきた!」(酒井章子著、産業編集センター、2018年)を読む。

「脳の変化に伴い、親が親でなくなり、人が人でなくなり、モンスターになっていく現代版ホラーである。」

「私たちは親のことをいったいどれぐらい知っているのか、実はほとんど知らないのだ。」

「老いの先短い命、健康重視の食事より大好きなものを食べて頂く。」

「めんどくさくて腹立たしく、不愉快で迷惑で、理不尽で異常で、でたらめで身勝手な生き物と、どう生活したらいいのか。」

「金魚がせまい金魚鉢で過ごせるのは、金魚の記憶力が3秒で、同じ風景をいつも新しい風景として見ていられるからだそうだ。」

「こいつはもう、人間じゃない」

認知症の脳に、納得という言葉はない」

認知症が進むとこんな風に寝たきりの廃人になる」

「ブログ~記録することで嫌な記憶を引きずることなく、その日その日を完結するという習慣が芽生えてくる。」

「人生は近くから見ると悲劇であるが、遠くから見ると喜劇である」(チャップリン

「歩いた分だけ、歩いて帰る」

「自分で決めたことは、自分で責任を取り、人のせいにしない」

「徘徊を制する者は、認知症に勝てる」

「徘徊の全てにとことん付き合う」

「~手抜きや横着は必要悪であり~」

認知症の人は、同じ年齢の健常者より、老化が2~3倍の早さで進む」

「あの世に向かって走れ!」

「ストレスのない生活~ストレス解消法に興味がわかないことになる。」