いさかい

■いさかい

 今日も日課である。ルーチンワークをこなすべく0時30分ごろマスクの販売数を確認するためにドラッグストアに向かう。しかし、常連ではない50代ほどの男性が椅子に座って仮眠している。そして、その後ろに常連の椅子が置かれている。自分もその後に置くためにきたのであった。配布数は10個になっている。それを確認して椅子を車から出そうとしたら、その男性が声を掛ける。「こんなことは、いんちきじゃないのか?」椅子で場所取りしていることを指している。自分に判断を求められても答えることはできない。自分も同じ穴のムジナである。その方は、このまま、7時間も外で待つという。自分もそのまま椅子を置いて帰ったら、いさかいの種になると思ったので、車に行ったり来たりで待つことになった。その場にいなくても駐車場にいるのだから、まんざらいちゃもんを付けられることもなかろうと判断した。

 そのため、0時30分から7時まで車の中で待ったり椅子に座ったりを繰り返す。3時を過ぎると常連がやってくるのを車の中から見ていた。明るくなったので列に加わったら、常連が先頭の男性にいろいろ言われたようだ。やはり、帰らなくて良かった。自分は両方の立場である。一般論として、場所取りはNGであろう。しかし、ここでそんなことを問題にしなくてもいいじゃないのか、いさかいは避けたい。どうせ10番目までもらえるのである。そして、常連に聞こえよがしで口説かれるのが嫌なので、寒いということを理由に日差しの方へ歩いた。

 整理券と引き換えるときに若い女性が店の方に食いついている。店の方は、7時から整理券を配りますといい、何時に並んでいるかを知る由もない。そこで、自分が教えて上げた、今日は0時半から並んだが、4時では遅く、3時代突入と。

 こんな生活は長く続かない。今日一日ボ~ッとしている。昼食はうどんにしようと、うどんを打つ。今回から2食分づつ打つことにした。しかし、疲れがでたのか面倒さが出て来て外食にする。先日開店した中華料理屋さんである。

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 割引券はあったが、やはり高いわ。ここは、電源もWi-Fiもある。席は、一番換気が良い場所にした。

 明日は止めたいが、新しいドラッグストアが開店するというので、家人は休みで並ぶという。車が1台しかないので、送り迎えすると今日の店には3時には行けないので自分は外れるだろうけど。

 子供をスタバまで送り届けてゆっくりしていると、スタバの閉店時刻が早くなったので家人を迎えに行く前に迎えに来て欲しいと連絡が入る。そうすると、公園を歩けないので出発時刻まで約40分近所を歩く。なんとか規定数に達した。

 近所の公園で、紫の花が咲いていた。

 シモクレンハナズオウかな。

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■「いくつになっても」(中野 翠著、文藝春秋、2019年)を読む。

「残りの人生を社会に恩返し」

「誰が何と言おうと、何と見ようと、好きに生きた方が勝ちだと思わせてくれる。」

「好きな事だけ執拗に、興味のないことはすべてパスーーー。」

「~“心にかかる雲も無し”といった気分で、人生の最期を迎えたいのだ。」

「“記憶”が、その人の“人格”の大半を形作っている~」

「あと何年生きられるのか?」