■飴
今日も4時過ぎに目が覚める。昨日はテレビを見ていたはずが、自然に寝入ってしまったようだ。夜中にスイッチを切った覚えが何となくある。今日の予定を思い出すと、何もないと出た。それならと、また眠る。次に起きたのが7時過ぎであった。朝シャンをして出かける準備を始めたところに家人が朝食の準備をしたので、朝食後出かける。家人が休みの日は朝食は作らないはずであったが、今日は作ってくれた。
8時少し前に出かけるも陽射しがある。しかし、風もある程度吹いていたので、汗でグタグタになるほどではなかった。日陰は涼しい。
セカンドオフィスでは、いつもの常連さんがやってきてたわいもない話が始まる。今日は、能登のホテルに言って来られた方の話で持ちきりであった。露天風呂付のホテルに宿泊され、7万円ほどかかったという。その時のおみやげで飴をいただいた。マキノ~という名前が見える。有名な飴だそうだ。帰りに食べながら歩いたが、素朴な美味しい飴であった。
来週は近江牛を食べに行かれるそうだ。一人1万円ほどとのこと。これが、2回りも下の彼女と一緒なので、事実は小説より奇なりと思いながら聞いていた。毎回の旅行のために働いているということであった。確かに、高級車などモノを買ったり、分不相応な海外旅行で散財するくらいなら、この方がいいと思う。日々の豊かさは日常生活の中でこそ見つけるべきである。
昼はどうするかと考えながら歩いていたら、前回買った札幌味噌ラーメンの生ラーメンがもう一食残っていることに気が付いた。それと、ミョウガと生姜の甘酢漬けも残りが少なくなった。
先ずは昼食をつくる前にミョウガを採りに向かう。3回目である。今回も10個ほど採れた。スーパーで1個50円ほどする。
今日も暑かった。歩数が足りていなかったので、昼寝後喫茶店に行こうと考えた。月曜日なので、最短の店は定休日なので、さらに300mほど先のチェーン店に向かう。ところが、メンテナンスのため15時で閉店と貼り紙がされていた。まあ、往復しただけでも歩数は達成できる。結局、部屋で休む。これがいいのかもしれない。
■「ハンナのいない10月は」(相川英輔著、河出書房新社、2020年)を読む。
「平凡な人間には、平凡な出来事しか起きない。」
「教養を学ばないまま卒業した学生たちは、今、社会で大きな壁にぶつかっています。」
「~必ずどこかで花が咲いていて素敵ですよね。」
「~毎日手入れして~」
「老兵はただ静かに去るのみです。」
「~猫のひげは“天使の忘れ物”と呼ばれ~」
「猫は敵を追い払い、福を呼び込む」
「世の中には正しくないことが無数に存在する。」
「真実のすべてが美しいわけじゃないと思う~」
「齢を取ると自然といろいろな物ごとを諦められるようになっていく。」
「ジャネーの法則。各年齢における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するっている説です。」
「生きるっていうのは、きれいごとばかりじゃないからね。」
「人間は誰しも周囲に迷惑をかけながら生きていくものだよ。」