10月のミョウガ

■10月のミョウガ

 今日は仕事は休みである。ところが、習慣とは恐ろしいもので4時50分に目覚める。仕事をする日は、そのまま朝食の準備であるが、休みなので、外が明るくなるまで横になっていることにした。

 明るくなったので、朝食である。これは、いつもの通りである。書き忘れていたことを思い出した。しばらく前から朝食にはキャベツの切ったのを山盛り食べている。例のドレッシングをかけて、ベジタブルファーストである。千切りキャベツといいたいところであるが、包丁で切っているので、3mm~5mmほどになってしまう。まあ、どんな厚みでも構わないが。

 柿の取り忘れがないか確認するために実家の裏庭に行き、驚いたね。ミョウガが成っている。

 自分の常識では、というか毎年ミョウガは夏の収穫物であった。今年はまったく成らずおかしいと考えていたのである。毎年、甘酢漬けを作り、おかずの一品にしている。

 しかし、今日はあちこちに出ているではないか。これは異常気象が原因かと思い、手元の図鑑で確認すると、8月~10月に花が咲くとなっており、別に異常ではないことが分かった。

 甘酢漬けを作って出かける準備をする。食べられるのは3日後ほどだったかな。

 朝は雨模様だったので、車でセカンドオフィスに向かう。120円コーヒーだけである。

 コーヒーを飲み終わってから、銭湯の朝風呂に行くことにした。少し割引になっている。受付で、混んでいるのでご了承くださいと言われる。一瞬、エッ!と思った。

 土曜日の早朝は激混みという。サウナ室に入ろうとしたが、全部の段が埋まっており、躊躇した。

 2時間は入っていようと意気込んでいたが、1時間少しで上がる。さっぱり感がいいね。

 帰宅後、昼食である。昨日のカレーが残っているので、カレーラーメンが定番であるが、この間やったしと思い、今日はカレー蕎麦にした。家人がパンを買って来てくれていた。

 食後、フォレストの準備作業を行う。しかし、足りない部材が見つかった。どこかにあるはずであるが、なかなか出てこない。諦めた。雨でなかったら、外へ出して探すところ室内で探したので見えてないところがあるようだ。代替え案を検討することにして休む。

 雨は小雨なので、歩くために喫茶店へ向かう。途中、目の付いた花を撮る。

 これは、外来種っぽいので、適当に調べる。セージというらしい。

 こっちは、ヤナギバヒマワリと出ていたが、詳しく見てないので違うかもしれない。

 これはコリウスの花の部分である。

 そして、こっちがコリウスの葉の部分である。

 喫茶店までは雨がひどくなったが、傘を差して向かう。

 今日は、おすすめを注文した。イタリアンプリンとなっていた。この濃厚な味は久しぶりである。

 帰宅後は、木の実拾いである。しかし、自宅近辺にはなかった。まあ、見つからない部材の代替えだけは確保できたので良しとしよう。

■「捨てることから始まる」(瀬戸内寂聴著、祥伝社、2022年)を読む。(その4)

「人間の目はいったい何を見ているのかと不思議に思った。」

「人の世の片すみに、ただ人のために奉仕するだけで心満ちたりている、こんな清らかな生活もあったのだ。」

「引きぎわというのも、生きる美学の一つである。」

「人間が最後に求めるものは金でも地位でも権力でもない、自由だということを思い知らされた。」

「物質的に満たされて、かえって精神の貧困さが目立ち、不安を増すという社会現象を生んでいる。」

「お山が呼んでいる」

「生きている価値があるから生かされているのですもの」

「希望を持っている時が青春で、青春は年齢にこだわらない~」

「人間の幸福は自由の中にしか生まれない。」

「恥を知ることが人格の根本にないと、自分の行為を反省することもないし、非難されても後悔する素直さもなくなってしまう。」

「小説を書くということは、自分を傷つける以上に人を傷つけることである。」

「何かの意志で、私はこの世に送り出され、ある時まで、この世に留めおかれるのであって~」

「山へ来たとたん、霊気を受けたのか、すっかり元気になる。」

「スポーツで健全な心身を鍛えると、絶対集中力が高まり、成績は上がる筈」

「非力の菩薩、人を救わんとして自ら溺る」

「孤独だからこそ、自然の美しさが身にも心にもしみてくる。」