長時間労働

長時間労働

 今朝も5時に目覚めた。しばらく、ごろごろしてから昔のフォークソングを掛けてくつろぐ。今日は朝から仕事である。出発前の隙間時間でフォレストの準備作業を行う。面取りの見本と丁番を付けた見本を作る。この後は、全部材を面取りすることと、干支の見本を製作することであるが、これはまとまった時間が必要である。

 家人は中番だったので、行きは送ってもらった。昨日の掲示板では”出荷検査”の場所に自分の名前があったのでてっきりそのつもりでいたが、変則運用のようで、”投入作業”に変わった。6ラインのうち、2ラインしか稼働していない。

 午後からは、初めての作業である、いわゆる”不良品処理”の作業である。ここは5名でワン・チームである。若い女の子もいる。自分は、ひたすらリジェクトラインから出てきた不良品を箱に入れて廃棄用の箱に入れるだけである。重いと嫌なので、底が見えなくなったら運んだ。この作業、ほとんど座って待っているだけである。まあ、それはいいとして、「えッ! これが不良なのか!」と自分が見れば良品に見えるが、それを捨てなければならないことにより精神的負担は大きかった。

 若い女の子が、自分に寄って来て言う。「扇風機の前に立たないでください。私に風が来ません!」いわゆる、叱られたのである。人は顔には寄らないね。もう、近づかないでおこう。

 ほとんど、座っていたら偉い方が立ち代わり来られて、これ見よがしに何かメッセージを発している。座るなとは言われなかった。でも、他の4人が立っているので、具合悪いだろうねえ。解雇でもいいよ。

 自分は働きに出ることに反対の家族の理由を想像してみる。よくテレビドラマで見るような「お父さん、今まで40年近く働いて来てご苦労様です。定年後はゆっくりと休んでください。」というのは、絶対に違うのである。世の中、生きている限り、死ぬまで働け!というモードになっているように感じる。考えられることは幾つかある。大きいのは、送り迎えだろう。そして、フトンの取り込みもあるだろう。なんせ、毎日のようにフトンを干しており、フカフカの布団で眠っているのが、ダメになることではないか。そして、チラシで安売りがあっても、頼めないこともあろうか。まあ、辞めてもいいのだけど、結構気に入っているので、もう少し続けさせてもらおう。筋トレとしてではあるが・・・・。

 今日は、午前中から仕事であったのに加え、午後からも品物が沢山出て来て、終わったのが16時であった。初めての長時間労働ではなかろうか。少し疲れたが、肉体の疲れは休めば治る。

 帰りは、最寄りの駅まで徒歩で行き、電車で帰宅する。疲れていたので、優先席の前に立っていたが、誰も席を譲ろうとしないではないか。目の前に、よぼよぼの高齢者が立っているにもかかわらずである。最近の若いもんは、何を習って来たのだろう。

 電車に乗っていると、ゲリラ豪雨のような雨である。ほぼ同時に家人より連絡がある。シキフを干して来たのだが・・・・・。そんな事言われても、無理である。

■「デッドライン」(千葉雅也著、新潮社、2019年)を読む。

「神すなわち自然」

「~金持ちは、利害に疎そうな人間を敏感に察知する。」

「運を引き寄せるというのは、結果として都合がいいことが起きたので、引き寄せたみたいに錯覚しているだけ。」

「十一時ぐらいに起きてドトールに直行し、ジャーマンドッグとアイスコーヒー、それだけの注文で午後ずっと居座る。」