補償か

■補償か

 今日は雨である。雨の日はひさしのある場所を探していたが、今日のように風が弱い日は傘をさして歩くに限る。朝、家人を送った後に公園内を歩く。今日も仕事である。

昼は、近くの喫茶店に入る。日替わりは、名前を言われたが理解できなかった。多分自分が未経験の料理なのだろう。出されたものを見ると、茹で卵の周りをハンバーグで包んで焼いてある。確かに初めてであった。

 今日の作業は”投入作業”であった。工場に入ると、今までに見たことのない量の品物が待機している。全部で6ラインあるが、自分の担当するラインは、今までに見たこともないくらい少ない。これでは30分持たない。やはり、30分以内で終えた。ちょうど終わるころに、人事部の方が見えられて、終わったラインの担当者に向かって、掃除をお願いしますと告げて回った。箒で履いてゴミを取り、水を撒いてヘラで流すのである。これも30分かかったのでちょうど2時に終わった。おそらく、この掃除は補償のつもりであったのだろうと理解できた。

■「なつかしい街と人と」(池辺晋一朗著、新日本出版社、2018年)を読む。

「常識はもはや通用しない。」

「無駄が、また欠落が少しあるくらいが、生徒の自立心を育てる~」

「批評する人と主催者~などが同席してはいけない~」

「国民に憲法を学んだり、論じたりしてほしくないというのが与党の本音だろう」

「日本は教育で失敗した。」

「~朝はウォーキングだ。」

「この天と地の間には、哲学などの思いも及ばぬことがあるのだ。」

「リハビリは嘘をつかない」