■日常
朝5時前に起きて、風呂を沸かす。少し熱めにした。ゆっくり入っていると外が明るくなってくる。
今日は自家用車不要として、朝から徒歩でセカンドオフィスに向かう。常連さん達の話は、寿司やアユの大量死や年金の話で盛り上がった。
ここで一服した後に図書館で勉強である。白書を眺める。パソコンでも見ることができるが、やはり本の方がいい。
昼になったので帰宅する。今日は昨日のラーメンの残りの野菜があるのと、うどんもあるので、あんかけ焼きうどんにした。もうあんかけは失敗しない。
ちょっと多すぎたね。
食事後は昼寝である。そうして、15時過ぎに、近くの喫茶店で過ごす。
今日のような日が日常であろうか。
■「立て板に泥水」(深爪著、KADOKAWA、2020年)を読む。
「“締め切り”~素人風情が手を出すとネタが切れるよりも先に精神が死ぬ。」
「毎回、生きるうえでまったく必要のない話をつらつらと書き綴っている。」
「苦しみも悲しみもすべて階段。」
「現在の日本は空前の自己責任論ブームである。」
「“日本スゴい”ではなく“日本ヤバい”なのだ。」
「時に正論は幸せの邪魔をする~」
「~“○○するだけでダイエット”に飛びつくような人は絶対に痩せない。~その手の人間は根本的にマインドがデブだからだ。」
「~自己防衛のためにも適度に“クズな自分”をアピールしたほうが生きやすい世の中なのかもしれない~」
「老人は自分のことを老人だとは思っていない。」
「奇跡はわりとよく起こります。」
「~“いつでも死ねる”という選択肢があるからこそ、生きながらえている~」
「世の中はべらぼうに理不尽」を
「世の中には“店員には何を言ってもいい”と考えている人種が少なからずいる。」
「“ダメなモノはダメ”は思考停止である」
「“悲しい事件”をある種の娯楽として消費したい人が少なからずいるのである。」
「善意だからこそ迷惑」
「タピオカミルクティーのカロリーは一杯700キロカロリーを超える」
「お金のために仕事をすることの何が悪いのか。」
「ストレス解消には誹謗中傷ではなく絶賛コメントを飛ばすことをオススメしたい。」
「“悪気はなかった”と自己弁護するのは火にガソリンをぶちまけるようなものだ。」
「~物事をナナメから見ることでおもしろきこともなき世を面白く感じられるようになった~」