■スダジイ
今日は天気が良く、気温も高いようだ。久しぶりにフォレストリーダー活動の準備作業を行う予定を立てて起床する。
今日も、家人と子供の送り迎えがある。朝、家人を送ってから、公園を歩く。モミジバフウの紅葉が際立っていた。
その後、ある場所へ向かい木の実拾いを行う。木の実は年間を通じて今しか採取できない。思ったより少なかったが、まあこの程度でいいだろうと帰宅する。
帰宅後、洗浄し乾燥させる。
木の実はスダジイである。スダジイと聞くと試験問題を思い出してしまう。スダジイとツブラジイの違いを問う問題が出されていたと記憶している。また、スダジイは生食が可能であり、高岡古城公園内で食したことがある。ここには、ケンポナシもあり、チョコレート味も味わうことが出来て豊かであった。
その後、1時間ほどナタとノコギリとヤスリで部品を製作する。その後、昼食を作る。買い物をしなかったので、あるもので済ますことにした。季節外れではあるが、妙におろしそばが食べたかった。付け合わせは天ぷらにしたかったので、冷蔵庫を見たが漬物用のナスしかないのでこれで済ます。
なんだか疲れがあったので、昼寝をしてから迎えに行く。また、眠れないかな?
■「老人初心者の覚悟」(阿川佐和子著、中央公論新社、2019年)を読む。
「~筋力の低下と引力の導き、すなわち老化現象によるものだった~」
「老化とは、ひたすら順応することである。」
「オトマトペとは、フランス語で“擬音語”を意味するらしい。」
「人間は歳を取ると縮むんだ。」
「だからいつも人にうらやましがられる人間でいたい。」
「~今どきの若者は清潔志向が行き過ぎているんだよ。」
「雑菌を排除し過ぎるから日本人は脆弱になるのよ。」
「“これだ!”と思うものに出合うのは、必ずしも人生の初期である必要はない。」
「結婚する者が必ずしも勝者とはかぎらない。」
「言葉は、発する側より受け止める側のほうがいつも繊細である。」
「今どきの言葉についていけないと思い始めたのは、はたしていつ頃だろう。」
「長生きはめでたいのか、それともお荷物なのか。」
「~自ら引退宣言しないと、他人に迷惑をかけることになりかねない。」
「~大病に罹ることも認知症も起こすことなく、~老衰で亡くなった。」
「~古代文明の時代から人間は退化し続けているってわけだ。」
「他人の話を長時間、黙って聞くにはエネルギーがいる。」
「自信と慎み深さは紙一重である。」
「ウーバータクシー」
「つまり骨の損傷までに至らぬ腰痛の場合は、筋肉を鍛えることしか治す手立てはないのだと。」
「~七十代や八十代の方々とて、自分を“高齢者”とはまだ認めていないだろう。」