無題

■無題

 今日は天気がいいようなので、頼まれていた干支のクラフトを作ろうと考えていた。その場合は、自家用車は不要としている。しかし、家人は出かける時に、スーパーへの買い物を頼んだ。そこで、予定を変更して車で送って行く。

 クラフト製作は11時までかかった。その後、スーパーへ行くが、目当ての安売りがされていない。店によって違うのかと店にあったちらしを確認すると8日、9日用のチラシがあり、安売りは8日だけになっていた。結局、何も買わず出る。

 昼はどうするかと悩む。作業をしたので作る気力はない。近くの食事処を頭でサーフィンしたがどうも気乗りがしない。時刻は既に13時を回った。

 何も考えたくなかったのでファミレスに行ってすぐ帰る。

 封書が来ていた。なんかよく知らないが、政府の統計が違っていたために、これまで支給した給付金が戻る場合があるということが書かれてあった。差額として戻る分は、多い場合で千円ちょっと、少ない場合で数百円である。このために、調べ物をしたり書類を作成しなければならない。30分かかると見て時給千円とすれば500円かかる。

 申請はやめようかどうか検討中である。こんなもん、どこかに寄付しますという連絡でいいのではないだろうか。このために、膨大な事務量が掛かっていることは予想できる。

 もう書いてもいいと思うが、何処かの市で政務活動費の不正があった。その対応は、不正分と利息の返却としていた。これを知った時は、議員は偉いんだねと感じたものだ。自分のことではないが、東京で働いている時に、定期券というのを使って通勤していた。当時は降車する駅で見せればいいことになっていた。遠くの場所からの場合は、一つ先の駅の切符を買って、降りるときは定期を使う輩がいたようだ。一般的にキセル乗車と言われているものである。これの罰則は3倍払えであったと記憶している。

 また、退職して失業保険をもらう時には、収入があっては受給資格を失う。これを隠して受給してバレた時の罰則も3倍払えであったと記憶している。

 政務活動費の不正については、裁判まで起こしている、名前は忘れたが”だっこまん”だったかな。これで、また税金が投入される。その結果、議員は失職し、素人議員が乱立された。こんなもん、不正分の3倍返しで議員を続けながら払ってもらってもいいのではなかろうか。

 自分は議員は清廉潔白だとは思ったことは一瞬も無い。

 素人議員だけになっても、何も変わらないことはいいことだろうか、不要なのだろうか。

■「ほどなく、お別れです」(長月天音著、小学館、2020年)を読む。

「私は“気”に敏感な体質を持っている。」

「悲しみを怒りにすり替えてしまったのは、自分の心を守ろうとする本能的なものだよ。」

「こうして、日々、人は亡くなっていく。」

「~生きたくても生きられない人がいる一方で、生きることに絶望する人もいるのだ。」

「まさに、形だけの葬儀だ。」

「人はひとりでは生きていけないのに、自分さえよければいいと思っている人が多すぎて~」

「彼らにとっては、死とは決別ではないのだと気付かされた。」

「~悔いを残さない生き方をすることだ。」

「形あるものだけが全てではない。」

「必要なのは、必ずしも全てを明らかにすることではない。」

「早いか遅いかで、必ず人は死ぬ」