■研修会
昨晩は飲み会で脳細胞を破壊すると言われているアルコールを摂取し、ダラのように眠ってしまった。深い眠りだったと見えて、4時半には目が覚める。「カ~ン」と第一ラウンドが始まる。
本を読みながらも今日の予定を確認する。今日は午後からナチュラリスト研修会が行われる。しかし、開催場所の関係で昼食の予定が立たない。これから行動するのに未定があると動作が鈍くなる。
朝一でセカンドオフィスへ向かい。その後はそこで考えようと家を出る。風は寒く、雨が降っていた。小ぶりなのでアーケードまでの20分は耐えられるだろう。
常連さんが2人入店され、よもやまの話で盛り上がる。
11時になった。そろそろ混んで来るので出なければならない。面倒なので駅に向かった。何かあるだろう。寒いので熱いものがいい、うどん券もあるのでうどん屋さんに入り、期間限定の豚汁うどんを頼んだ。
研修会開始までは1時間以上あるので駅の待合室で過ごそうと座っていたが、風が吹き込むので寒い。こうなったら、研修会場の中で時間待ちした方がいいと会場に向かう。
待合室に26会のメンバーが5名集まった。というか、座っているのが全員同期であった。開始までいろいろな話が飛び交い、束の間の緩やかな時間が流れた。
今年2回目の研修であった。今回はリモート参加もできると案内されていたが、5人だけであった。
まず、県から報告がある。
続いて基調講演があった。
16時ごろに終了し帰路に着く。風が冷たく、いつ雪が降ってもおかしくない。歩いていて気が付いたが、道路が落葉でいっぱいである。毎回、綺麗に掃除されていたと思ったが、これも予算がないためだろうか。葉で滑りそうなので危ないと感じた。
歩数は15,000歩で少し歩き過ぎたようだ。健康のため歩き過ぎには注意したい。
■「生まれてこないほうが良かったのか?」(森岡正博著、筑摩書房、2020年)を読む。(その1)
「哲学と言えば西洋哲学である」
「いちばん良いのは、生まれてこないこと」
「~長生きしすぎた者には 楽しみはどこにも見当たらない。」
「~その最高表現が“空の空”である~」
「地上で行われるすべてのことはむなしく、意味がないということである。」
「絶滅は、自殺によってではなく、計画的で段階的な出生率の低下によってなされるべきである。」
「死は依然として悪いのではあるけれど、質がとても低くて完全に意味のない生と比較すれば、いくぶんましである~」
「もし人類が存在をやめれば、すべての苦しみは完璧に消滅するのだ。」
「~最終的に人類がまったくいなくなった地球こそが、言うまでもなくおそらくもっとも美しいでしょう。」
「この宇宙にあるすべてのものは“生きようとする意志”によって突き動かされている。」
「いっさいの生は苦しみである」
「けっして祝福され得ないもの、それこそが人生なのである。」
「千の快楽も一つの苦しみにかなわず」
「“生きようとする意志”を捨て去り、あらゆるものに対する無関心の境地に至ることこそが、真の“自由”であるとショーペンハウワーは言う。」
「ひとりとは、ひとりでないことだ」
「~人間は“無意識”によって突き動かされていると考える。」
「全ての生命体の目標は死である」
「~人は死んだあとの世界でふたたびまた死ぬことになる~」
「彼の心臓に宿る、すべての欲望が解消される時に、死すべきものは不死になり、~」