■カレーそ
正月準備の買い物があり、朝家人を送って行く。外は、ときおり陽射しがある。前に行った日は忘れてしまうほど久しぶりであったが、運動公園へ向かった。車を降りるとやはり冬の風であった。
長さ2.1kmのコースは除雪されていたので、ここを歩く。半分も過ぎたころにようやく暖かくなった。こんな日でも4、5人がトレーニングされていた。
店が開く時刻になったので、店に向かう。3箇所こなした。
昼まで時間があったので、コーヒーショップに向かう。久しぶりにゆっくりとした時間が戻って来た。
本を読んでいて佳境に入ったところで、知人のTさんからLINEが入る。門松に使う植物を知りたいという。そこで、自宅に迎えに来ていただいて、市内の何か所かを回ることにした。コーヒーはマグカップで提供されていたので、残りを紙コップに移してもらい帰宅する。
昼食は決めていた。夕飯のカレーが既に朝作ってあったので、フライングすることにした。手打ちそばは、一回に2食づつ打つので昨日の半分が残っている。そしてカレーとくればカレー蕎麦に決まりである。
20代の時に東京で生活していたころ、朝はファーストフードか立ち食い蕎麦やさんが多かった。今でも覚えているのは、立ち食い蕎麦やさんは、注文をすると店員に聞こえるように大きな声で反復される。例えば、天ぷらうどんを注文すると「てんう!」となる。掛けそばは「かけそ!」である。細い肉うどんの場合は、「ほそにくう~!」と独特の節回しであった。これに習い今回はカレー蕎麦なので「カレーそ!」ということになった。
今回は、ひたすら細く切ったが、案の定根気が続かない。まだ、伸ばし方が足りない。
カレーはあったので、和風だしを少し作り、ウインナーも炒めた。
やはり、蕎麦は食感が重要である。今までの中で一番ましな蕎麦になった。方向性は見えているので、次回も挑戦しよう。
食べてから少し経つと、知人のTさんが迎えに来られた。まずは、ホームセンターを覗くと、門松が1万円近い価格で販売されている。マツ、ハボタン、センリョウなどが特設コーナーで販売されていた。百均では、マツ、ウメなどの造花が販売されていた。
購入されるのは知人のTさんなので、紹介するという自分の役割は終わった。
■「生きるための辞書」(北方謙三著、新潮社、2020年)を読む。(その2)
「年齢を理由に、やろうとしていることが遮られる。」
「ナメクジや蝸牛を生で食って死んだ人がいる。」
「~嗤ってもなにも生まれない。」
「一冊でも多く、本を読みたかった。」
「確かなのは、いまだけだよ。」
「男が、世を捨てる。これは、実はもっと生きたいからだ。」
「世を捨てるにも、体力というやつは必要なのだ。」
「~受けた暴力はほとんど等量を返してきた。」
「やる時は、徹底してやる。」
「朝、小鳥の啼声で目醒め、朝食をとってから散歩をする。日々、自然の中のさまざまなものに出会う。昼食をとって本を読み、夜は暖炉のそばで酒を飲む。」
「私は、知らないということを恥じない。」
「生き方の中に、なにかひとつだけ芯を置く。」
「きわどいところを、通り抜けてきたんだよ。」
「埼は点を表し、崎は面を表す~」
「釣りたてで新鮮なものほど、いい干物になるのだ。」
「スマホが万能だと思うな。」
「~私はひとりでゴミを拾い続ける。」
「忘却とは、人生の救いである。」
「心の腓(こむら)返り~」
「小説家は、碌な人種ではない。貧乏で、弱いくせに喧嘩をしてすぐ負け、嘘ばかりつき、時には自殺する。」
「大人は、自分の方が知識がある、と思ってはいけないのだよ。」
「~油を売る~油は糸のようになっても落ち続け、それが切れるまでかなりの時間を要する。」