おおつごもり

■おおつごもり

 6時過ぎであった。昨夜の状態から朝一で除雪かなと思って飛び起きた。しかし、積雪は10cm未満であり、この程度なら除雪は不要である。起きたついでに朝風呂を浴びる。追い焚きを2回行ったら熱すぎた。この時期、風呂は一日おきでいいと考えているが、子供たちが帰っている関係で毎日入っている。朝だったり、夜だったりする。

 今日の予定は、蕎麦屋さんへ行って年越しそばを食べることだけであった。しかしながらその予定は朝から変更せざるを得なくなった。家人が実家へ行って餅をもらってくるという。そうすると、実家の除雪もした方がいいだろう。今日は少ないが、多く降ると予報されているので、除雪しておいた方がいいという。自動的に自分が運転することになる。家人の実家は横に用水が通っているので雪の捨て場に苦労はない。かなりの面積を除雪した。帰宅途中にスーパーに寄る。朝から混んでいたね。

 市内の途中で降ろしてもらいセカンドオフィスに向かう。10時を過ぎていたので既に常連さんは帰られたようだ。通りで、Y.O.さんとすれ違う。手を挙げて挨拶する。

 今日は空いていた。昼までゆっくりする。出る時刻は決めていない。コーヒーが無くなったら出ることになる。今日のストレートコーヒーはコロンビアであった。なかなか飲みやすい。ストレートを飲み始めると、ブレンドは飲めなくなる。安い豆を中心にブレンドして、スペシャブレンドなどと言っている店もあると考えている。その点、ストレートは味の良し悪しが解りやすいと考えている。

 昼を過ぎたので、蕎麦屋さんへ向かう。戸を開けた途端、満席のように感じた。カウンターへ案内される。

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 最初の一口はそばつゆを付けないですする。旨い!なんで、こんなに旨いのだろう。自分ではここまではとうてい行かない。良く、材料の差などと言われるが、同じ材料を使っているのである。それも、市価の半額ほどで売ってもらっている。つまり、技術力の差ということである。まだまだ、差は大き過ぎるね。まあ、ここまでに届かなくてもほどほど旨いと思える蕎麦でいいと考えているが、先は長い。そうして、ひとすすり毎に、その技を盗もうともがいている自分を知る。

 充分満足して、帰路に着く。雪は小康状態だったので、徒歩で向かう。

 さて、今日は大晦日である。いわゆる特別な日であろうか。この日に何を思うか、考えるのか。

 思いつくままに書いてみる。

 まず、明日の元旦はエンディングノートの更新日にしているが、近くの銭湯でロッカーに無料入浴券が入っているイベントがあるというので、これを狙いにいくことや、1日はセカンドオフィスでのチャージの日であることから、エンディングノートは今日見直すことにした方がいいだろうなあ。

 もうこの年でお年玉なんという浪費はせずに済んでいる。まあ、小さい子は避けなければならないが、もう近くにはいないのでいいだろう。昔は、ポチ袋という奴と新札の確保に苦労していた。

 年賀状は60歳を越えてからこちらから出さないことにした。しかし、来た賀状には返事を書くので、1日までに来たのを第一弾として印刷して返事を出そう。この作業はセカンドオフィスでやればいいので、銭湯へは朝一に行っていったん帰宅して、雑煮を食べてから出かけるという予定が自動的に立つ。いや待てよ、年賀状を郵便局に買いに行かなければならない。確か元旦は営業していたはずである。賀状を買って、印刷してからの行動になろうか。いや、たぶん2日の作業になると考えている。そうすると、3日以降に届くことになる。最近は、メールやLINEでも届くことがある。子供が小学生のころの年賀状を思い出した。そこに書かれていた文字は「あけおめ ことよろ」であった。これに、驚いたことを思い出した。というか、毎年思い出しているんだなあ。

 初詣はここ何年かは実施していない。ことしは、感染症の影響で境内は様変わりしているだろうとその様子は見ておきたい。

 テレビも見ないだろうなあ。歌合戦は知らない人が多いし、他の番組も特番を組んでいるようであるが日ごろ見てないので面白味は少ないであろう。

 今日の新聞のお悔やみ欄では60歳以下が半数である。こんなのを見ると、何が人生百年だ、と思ってしまう。

 いつもなら、良いお年をお迎えくださいと書いて終わりたいところであるが、どうみても良い年が迎えられる人はいないのではないかと考え書くのをやめることにした。来年もブログをこのまま続けるのか、路線変更するのか、頻度を変更するのか、考えるのが面倒になった。

 さっき、カレンダーを入れ替えた。歩数は9,000歩ほどであった。今日は早く眠ろうと思っている。

 来年の抱負の一つに、また大晦日を迎えることがある。

 これを書いている時に感染者数が1300人というテロップが出た。こんなもん絶対数も大事であろうが、発見率という形でも報道して欲しいものだ。春のように、検査数を制限して、我が国の感染率は少ないというておればいいだろうが、と嫌みの一つも言いたくなる。母数つまり検査数である。検査数の内何人感染が確認されたかも重要ではないのだろうか。

■「小説」(増田みず子著、田畑書店、2020年)を読む。

「自分も、いつか忘れてしまえるようになればいい~」

「~いつかは来るはずの日~」

「~ちょっと上品でちょっと知的で~節度ある優等生的な夫婦~それを全部なくしていた。」

「日々のストレスは日々の夫の血糖値の数字を悪化させる。」

「~病気だから楽しく生きるのさ~」

「子供はいらないという人間から生まれた子供は、みんな、子供はいらないと思う大人に育つのだろうか?」

「本を読むことははずかしいことだと~」

「生活の中心は、楽しく健康な生活を送ることにある。」

「人との出会いというものは偶然だと思う。」

「自分の足元を深く掘れ。」

「いろいろな人の、いろいろな言葉が、私の言葉をつくってきた。」

「~世の中には結構な比率で、書かないと生きている気がしないタイプの人間がいる。」