大寒

大寒

 朝から異様に寒い。天気予報では-5℃と報じていた。こういう日は、出歩かないほうがいい。すると、まだ7時前だというのに家人が出かけるという。急ぎ起きて、車で送ると言ったが、凍っていて無理という。しかし、他の家では自家用車で出勤しており大丈夫だと言ったが、出て行ってしまった。

 昨日は病院へ行って通常の薬に加え、いわゆる風邪薬ももらって来た。くしゃみ、はなみず、咳である。流石に、医者の薬は効きが違う。朝から快適である。ひどい時だけ服用しよう。市販の薬だと3千円ほども掛かる。こういう活用方法も検討したい。

 こうなると、後は子供だけである。灯油を買いに行き。水をもらいに行く。午前中はダラダラと過ごした。

 昼になったんで、一人静かに蕎麦を打つ。どうも最近は柔らかくなりすぎる。今回もダメである。少し寝かそうと丸めたところで、子供が出かけるというので、送って行く。しかし、帰宅しても一人でファンヒーターを使うのは不経済である。そこで、うどん屋さんに食べにいく。幸い、ランチメニューをやっていた。

 夕方、公園に向かう。遊歩道は空いてないだろうと考えていたが、一部空いていた。

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 この公園でも枝折れが多かった。サザンカの生垣は哀れの一言である。やはり、常緑樹の枝折れが目立つ。これは、タブノキであるが、こんな太い枝も折れるのだ。

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 寒いと思ったら、今日は大寒ということをテレビで知った。なるほど、暦通りということか。驚いたことも報じて居た。今回の大雪対応を検証するということである。こんなことは、終わってからやるべきだろう。まだ、一車線の幹線道路もあるし、歩道に積み上げらた雪で左右確認が出来ない。し辛いのではなく、できない。事故が起きる可能性が高い。もう少し、庶民目線に立って欲しいねえ。

 テレビでは医療崩壊の実体を報じている。救急車の受け入れ病院が無くてそのまま亡くなるという形が一つあるようだ。

■「60歳からの新・幸福論」(多数、宝島社、2018年)を読む。(その1)

「そして何よりも、“死”を否応なく意識するのが老齢期でもある。」

「食事は病気にならないモトだと思っていますから。」

「うちの食事はとっても質素なんです。一汁一菜半ぐらいのものです。」

「身体は“自然にするのが一番”」

「~健康診断には最後まで行かなかったんです。」

「~食べられて、きれいな水を飲めて、それから雨に濡れないで寝られれば文句は言えない。」

「すべてのものには対価を払わなきゃいけない。」

「~趣味道楽って“自分だけ違うもの”だ~」

「お腹いっぱいになるって、生きているうえで大事なことですよ。」

「~プロの仕事は道楽なんです。」

「割に合わない仕事をやるのが、プロだと思うんです。」

「生きることとは働くことです。」

「~“死”とは、好奇心が湧かなくなり仕事からも遠ざかっちゃうことなんです。」

「この分野に関して自分は自信があるというものを持っている人ほど強い」

「家族というのは、いずれバラバラになるのが当たり前です。」

「~どんな状況であれ、人生は楽しんだ者勝ちということです。」

「~“自分でできる範囲”のチャレンジをしていく~」

「アスリートというのは、ある年齢までくると一気に老化のスピードが増す傾向にあります。」

「人に教えたり伝えるというのは、とても充実感のある活動です。」

「~お金があるからといって、彼らの表情から充実感を覚えることはあまりないですね。」