■応募
また、やってしまった。昨晩のことである。いつものようにアイスオーレを大きなマグカップに満杯に入れて部屋に入ろうとしたが、電気が消えているので、目分量でカップをテーブルの上に置いたが、わずかのところでズレており、全て床にこぼしてしまった。直ぐに、新しいタオルを当てたが、ショックが尾を引いた。
それが原因かどうかはわからないが、悪夢を見た。わりとはっきりしていた。30年以上も前の会社のことであった。既に亡くなった方も登場されており、すぐに夢だとわかったが、なんとも後味が悪い朝であった。
いつもより早く7時前に家を出る。今日は7時から開店しているので、問題はない。
やはり指定席は埋まっている。指定席に座るには開店前から並ばなければ難しい。ゆっくりと朝刊に目を通して、今日の予定を確認すると、賞品応募となっている。
今やっている歩いてポイントがたまるアプリは、年に2回ほど溜まったポイントを使って賞品に応募できる。前回は、3千円の商品券が当たった。さて、今回はどうするか。どうせ、めったに当たらないのだから、一番豪華なホテルの宿泊券と商品券に応募した。ポイントはどれだけあるいても一日に最大80ポイントである。宿泊券は12,000ポイントが必要であった。
常連さんが1名来店された。今日は、麺喰い隊のことで盛り上がった。このコンテンツは閉鎖している。今風に言えば、オワコンである。
しかし、セカンドオフィス内は面白い。トイレに入って用を済まして出るタイミングと次の方が入るタイミングが同じになった。狭いトイレなので、自分が出るのを下がって待つべきだろうと考えていたが、入って来られた。デブとデブが狭いドアに腹を擦りつけながら出入した。後で、その方の歩き方を見ていたら、どうも脳梗塞の後遺症のように感じた。まあ、病気なら仕方がないか。
若い青年実業家らしいかたが、パソコンを拡げて仕事らしいことをされている。見ていても気持ちがいいものだ。しかし、電話がかかってきて、10分以上大声でしゃべっているので、これはダメだと感じた。こういうモラルがないと何をやってもダメだろう。
今日の一番の問題は昼食であった。今日あたり蕎麦にしたいが、ニシンに困っている。12切れで300円ほどなので、一回に2切れづつ使えば6回使えるが、賞味期限が数日しかない。そこで、冷凍できないか考えていた。それなら、初めから冷凍されている切り身ではどうかとなり、業務スーパーまで歩いて確認する。冷凍の切り身は沢山あったが、高いし、小口使いがやりにくい。結局、魚の缶詰を買った。今日は試作である。
どうも完成された味であった。やはり蕎麦はニシンである。そこで、スーパーに行って確認することにした。解凍品であれば再度冷凍しない方がいいだろう。
途中、丁寧に雪囲いされている木を発見した。
これはワジュロのように見えたが、雪囲いが外れたら確認したいね。
スーパーのラベルを見ても解凍品とは書いてない。そこで、帰宅後製造方法を確認したら、1日干してあるだけとなっていた。まあ、いろいろあろうが、次回から冷凍してみることにしたい。
■「哲学の蠅」(吉村萬壱著、創元社、2021年)を読む。(その1)
「餓死寸前の人間に不用意に食料を与えると死んでしまう~」
「これは自然の摂理であり、私は弱者を一顧だにしないこのような自然の冷酷さが嫌いではなかった。」
「内容が分からない本を分からないままに読み通す」
「彼女は魔法を“思うままに意識の中に変革をひきおこす技術”と定義している。」
「本屋で一目見た時に、この本は自分の人生にとって極めて重要なものになるという確信~本屋でのこのような直感が外れたことはまずない。」
「努力することは、初めのうちは非常に苦しいが、やがて全くだしぬけに、安堵感があとに続くのである。」
「~どんな種類の努力であってもあらゆる努力が人間の意識を拡大させる。」
「文字というのは現実世界と自分の精神との間の一種の緩衝材のようなもの~」
「文学を志す人間は、人と同じであってはいけません。」
「~全ては無価値であるとするニヒリズム~」
「“悩む”というのも一つの才能であり~」
「昔から、新しい諸価値の創業者たちは、市場と名声から離れたところに住んだのだ。」
「哲学とは世界の根源的な問い直しであるから~」
「恥部は極力隠すべきなのだ。」
「この世には、個人の力ではどうにもならない圧倒的な暴力が存在するという諦め~」
「自分の書いた文字が読めない、などというのは作家として言語道断だと思うのである。」
「私の何よりの娯楽は、喫茶店で日記を書くことだった。」
「~精神の健康にとって哲学の講義は特に貴重なものとなった。」
「私は“書き写す”“抜書きする”ということに魅せられ、それは世界の摘まみ食いと相俟って、私の読書及び創作の基本的な方法となっていくのである。」
「自分を支える何物もなく、自信も自己肯定感もまるで持てない時、人は決まって文学に救いを求めるのではないだろうか。」