■新しい生活スタイル
今日は天気がいいようだ。振り返って見て、5月の風が一番好きである。特に、山に吹く風は至福の歓びが味わえる。
今日は、新しい生活スタイルの模索も兼ねて、バスで里山へ行くことにしていた。ちょうど、タケノコも無くなった。まずは、セカンドオフィスまで歩く。常連さんが2名来店された。いろいろな話で盛り上がった。
いっしょに、店を出る。自分はバス停留所へ向かう。15分ほどの待ちであった。
待っていると、赤い二階建てのバスが通った。天井がない。確かスカイなんとかではなかったろうか。関心が薄いので覚えてない。
到着したバス停は、山へ入る道のそばであった。気持ちのいい風が吹いている。今日は、散策を中心にしてタケノコの優先度は落そう。あっても一本だけにする。
途中に、ワラビ畑が見つかった。ほとんど大きくなっていた。まだ採れるのもあったが、スルーする。ここから、冒険である。日ごろ歩かない道を歩く。気ままな散策である。すると竹林が見えて来た。期待もしないで、下がると、5分もしない内に一本見つかった。しかし、大きすぎるのでスルーしようかとも思ったが、十分食用レベルであった。
それにしても、重い。リュックに入れて帰路に着く。ほとんど歩けてないがいいとしよう。リュックに入れたが、はみ出る。
降りた停留所の反対側の停留所へ向かい、時刻を確認すると何と2時間待ちであった。まあ、こんなことは織り込み済みである。木陰に座って本を読む。しばらくして驚いた。YUJIさんがトイレに行こうと前を通った。慌てて声を掛けた。聞くところによると、県道富山高岡線の最寄りの駅で降りて、尾根沿い1時間半ほどを歩いて着いたという。自分が、バスは2時間待ちというと、反対側のバス停は10分後にくるという。反対側というのは、下車したバス停である。このルートは、ぐるっと回るコースになっており、心配ないとのことで、一緒に帰った。有益な情報であった。
自分も新しい生活スタイルとして似たようなことを考えており、いろいろ試して見たい。往復のバス代が200円というのがきっかけである。
帰宅後は、昼食である。ラーメンを4食分打ったが、残り3食分ある。昨日の味噌ラーメンは失敗であった。そこで、確実な調理にした。あんかけ混ぜラーメンになろうか。昨日半分使った、肉と野菜を使いきることが目的であった。
味は麺つゆである。これは定番になろう。
続いて、タケノコの処理である。
1mほどもある。4分割する。アクを取った後に、先端部分はタッパで保存し、太い部分は、薄切りにして2品おかずを作った。どうせ大半は自分が食べるのである。
マストの昼寝後、喫茶店に向かう。2時間ほどいたが、最初に出されたアイスコーヒーの氷が溶けないで残っている。感動した。
歩数は1万3千歩ほどであった。
■「極上の人生」(辰濃和男著、海竜社、2017年)を読む。(その1)
「~悪意(ア・ク・イ)というものがない。アは“あくせく”、クは“くよくよ”、イは“いらいら”です。」
「今、ここで、この瞬間を大切に生きる」
「貧乏したけりゃあ、腕をみがけ」
「苦としっかり相対すれば、そのとき人は少しばかり成長するはずです。」
「四国遍路は祈りを学ぶ道場です。」
「してあげたと言ってはいかん。させてもらったと言え」
「ある方になにかをさしあげるということは、こちらが、うれしさ、有り難さをいただくことなのです。」
「私自身、たくさんの人のおかげで生きているのです。」
「~老郵便配達夫はかたくなに車を拒んでいます。歩くことがいちばん確かだと信じているのです。」
「苦しみは考えることで乗り越えられる。」
「知足の歓び」
「椿の絵を描くことで、命が救われた」
「なにかを始めるんだったら七十五歳を過ぎてからだね。」
「“一年に一つ”の目標を立てている。」
「肩の力を抜き、心地よいことをたのしくやる。生きる歓びとはそういうものだろう。」
「ひまを持つことは潜在的な価値がある。」
「こころを静かにして過ごせばそれだけ歳月を長く過ごすことができる。」
「暇つぶしという営みは、もしかすると、とてつもなく創造的な仕事をするための原動力になる~」
「~なるべく雑多なことに興味を持ち、さまざまな分野に好奇心をもつこと~」
「記憶をなくした老人の表情も、本だ」