■無題
今日も送り迎えの一日になりそうである。いつものように階下へ行くと、もう出るという。今日は早出であった。家人を送った後は、セカンドオフィスへ向かう。今日は日曜日なので混んでいるかと思っていたが、朝が早いので空いていた。注文をすると別の方が何も言わないにもかかわらず、水を準備された。もう、面が割れていることは間違いない。そういえば、前回は今日は遅いのですね、と言われていた。
子供を送って行くと昼である。昼はきちんと決めてなかった。スーパーへ行って半額の肉次第である。バラニクの場合は、それ相応の調理をするし、ひき肉ならば、今日のように寒い日はマーボーラーメンかなと入店した。幸いに、ひき肉が半額になっていたので購入する。ついでに木綿豆腐も入手する。
もう手慣れたものである。麺を茹でている間に、醤油スープと麻婆豆腐を作る。いつもは分量はいい加減なので、今日はビリからにしようと豆板醤を多めに入れた。
果たして、その味は・・・・。
今までの中で一番であった。今日の工夫点は一人分にしたことである。そのため、豆腐とひき肉が半分残っている。食べ終わって食器を片付けようとすると、片栗粉の袋が置いてある。しまった!とろみをつけるのを忘れてしまったね。人様には出せないが、十分満足した。
午後からは、裏庭の木を剪定する。
家人の迎えの前に久しぶりにマックドへ行こうと入店したら劇込みであった。クーポンで2時間過ごせた。歩数は1500歩ほどであった。
■「生きる!」(嵐山光三郎著、新潮社、2020年)を読む。(その1)
「葬式へ行くと~“自分もいつかは死ぬんだ”と覚悟する。」
「この世の人生はただ一回あるだけだ。」
「人が死んで七日以内に雨が降らないと、その人は成仏しない。」
「人気小説家の自殺は計画倒産のようなところがある。」
「“いつ死んだってよくない”のです。」
「一つの仕事を成し遂げるためには他の人生を捨てよ」
「何をするかではなく何をしないかが大切だ」
「死に近づきつつあると知れば、やりたいことができる」
「この世は平等ではありませんし、不条理の連続である。」
「ほとんどの話はむだな話である」
「趣向を弄して面白がるより、シンプルなものがすぐれている」
「五十歳になるまで上手くならない芸(仕事)は、捨ててしまえ」
「~頭だけ知識人かしている人がいる。」
「“誕生”も“死”も、当人にとっての記憶はない。」
「“生きる”という一点が、人間の最大の目標だ。」
「裏山からマツボックリを大量に拾ってきて火種とした。」
「定年退職したお父さんがしょんぼりするのは“会社という遊び場”がなくなってしまったからだ。」