■麺打ち
今日も仕事は休みである。もう数日だろうと考えている。雨予報なので、車での生活になる。今日の予定はフォレストの打合せである。
家人を送った後に車でいくコーヒーショップに向かう。Wi-Fiがないのでセカンドオフィスにはならない。ここで、本を読んでいると、Yさんから連絡があり、ここで待ち合わせにしていただいた。
昼を回ったので喫茶店のランチに向かったが、定休日であった。先日も同じであったのでもう締めたのかもしれない。仕方がないので、ウドン屋さんにする。140円で食べることが出来た。
午後からは昼寝をしてから麺を打つことにした。また、仕事前の生活に戻るためである。また、熱いラーメンも食べたいとラーメンを打つ。
これで、これから日替わりで好きなものが食べられる。
■「こころの散歩」(五木寛之著、新潮社、2021年)を読む。(その1)
「本なんか読んでたら立派な軍人にはなれんぞ」
「どちらかといえば、物を考えるには寒いほうがいいような気がする。」
「詩はうたうべし、読むべきにあらず~」
「言葉はたちまち古くなる。」
「~窮極の事態を迎えた人に対して、“がんばれ!”は残酷なアピールではないだろうか。」
「見る前に跳べ~」
「迷ったときにはやめる」
「~考えて考えて考え抜いたところで、必ずうまくいくとは限らないのが人生である。」
「~それでなくても年寄りは存在そのものが汚いものなのだから~」
「風呂では体は洗わない。」
「湯につかったまま、本を読む。」
「コーヒーにレモンを入れて飲む。」
「~六十五歳のときに、完全にクルマの運転をやめた。」
「都市交通はエゴとエゴのぶつかりあう修羅の場だ。そこで戦うことに疲れて、私は身を引いたのだった。」
「老いが問題なのではない。老後、つまり老いた後の生き方が難しいのだ。」