大晦日

■大晦日

 今日で2021年が終わる。令和三年が終わる。今日も、予定はない。これはいいことだ、ゆっくりとした年末を迎えることが出来ている。

 朝起きて除雪の状態を確認したが、除雪車が通った形跡はないが、車はかろうじて出れそうであった。朝食は摂らずに、セカンドオフィスに向かう。年末年始は営業時間が変わるので、今日は何時だったかと思い出そうにも思い出せない。開いていなければアーケード内を歩くだけである。

 アーケード内では、ランニングされている方が何人かいたが、ただ歩いている方は見えなかった。

 遠目で、店が開いていることが確認できた。いつもの席は埋まっていたので、隣に座る。先ずは、朝刊に目を通す。おくやみ欄では同い年の方や年下の方が亡くなっていた。

 モーニングセットを頼む。昨日はAだったので、今日はBにした。

 次に、医療費の計算である。控除を受けるには10万円以上であるが、所得によってはもっと少なくてもいいらしいが、家人の控除であるし面倒なので、10万円基準で計算する。惜しかったが、10万円には届かなかった。これは、喜ばしいことなのであろうか。

 常連さんは2名来店された。門松の写真を見せると、来年は作りたいというので、フォレストの活動を紹介した。責任者に話しておくということであった。

 昼近くになったので、戻る。今日の昼食は、やはり蕎麦であろう。さて、どのように食べるか考えたが、温かい部屋でザルソバに決めた。

 おせちの残りも添えた。だいぶ少なくなっているが、今日中に家人が補充するので明日はぎっしりと詰まるはずである。

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 シンプルな蕎麦もいいね。

 その後、除雪してから風呂に入る。昼風呂である。雪を見ながらの温泉気分である。十分と感じるまで浸かった。

 その後は、コーヒーを飲みに出る。暖房費の節約が主目的である。今週は、割と歩けている方である。明日で週末なので、歩数が気になるが途中で見ないことにしている。

 年末特番というかテレビは興味がなく、本でも読んで過ごそうと考えている。

 LINEから年末の挨拶が入って来る。

 良いお年をお迎えください。

■「そもそも植物とは何か」(フロランス・ビュルガ著、河出書房新社、2021年)を読む。

「~“誕生と死によって生命が区切られている”ものを“生物”と呼ぶとしたら、植物は生物ではない。」

「知性とは、状況の変化に応じて自らの行動を調整する能力だ。」

「植物保護の問題は“慈悲心”とは何の関係もない。」

「植物を観察し、記録し、命名し、属や種に分類する学問が“植物学”だ。」

「~植物学は創始されたときからずっと医学の一分野だったという事実だ。」

「植物は決して動物と比較して研究されるべきではない。」

「わたしたちは、新たに発見した何かを理解しようとするとき、すでに知っている別のものとの共通点を見いだそうとする。」

「当時、植物学者を含む博物学者は“生物の構造を観察し、その特徴を記録する者”であって、“生命を研究する者”ではなかった。」

「~意志は“表明”されるものであり、“現象”ではないとされる。」

「植物の屈性~日光屈性、光屈性、重力屈性、接触屈性~」

ジャン=ジャック・ルソーにとっても、植物研究と植物採集は“癒し”だった。」

「生きるとは、世界を確信しながら生きつづけることである。」

「~植物~どうしてあれほど美しい外観をしているのだろう?“虫たちを誘惑するため”“受粉を促進するため”という答えだけでは~説明にならない。」

「木の優れた点は、その永続性、限りない生命、力強さ、繁栄力、平静さにあるのだ。」

「わたしたちは、生きようとする生命に囲まれた、生きようとする生命である。」

「~環境保護と植物に対する関心は別のものだ。」

「植物を人間の破壊行為から守るのは不可能だ。」

「植物は人間や動物とは異なる存在であり、感覚も知性もない。」