■ジャ~ン
昨晩は眠れなかったね。原因は明らかである。昼寝である。昼寝も15分から30分までにしようと考えていたが、寒いのでファンヒーターの前ではついうたた寝をしてしまう。
朝食は昨日の夕飯の残りをおかずにして済ました。起きるのが遅かったので、出かけるのは遅かった。
雨は降っていなかったが、傘を持って出る。
店に入ったが、眠気が勝り集中できない。まもなく、常連さんが1名来店され、山の話で盛り上がった。
今日の予定を確認すると、医者へ行くことになっている。雨がひどいのでバスにしようかと迷ったが、風が弱いので歩いて行くことにした。ちょうど1時間で到着である。
この病院はいつも混んでいるが、この時間帯は空いている。これからはこの時間帯を狙おうと考えた。終わりも1時間で終わった。
医者を出る時は雨風が強くズボンが変色し出した。しかし、どうしようもない。
遅くなったが、昼食を作る。マーボーにするので、豆腐だけ買って来た。まず確認するのは、炊飯器のご飯の量である。一人分あったので、今日はマーボー飯に決めた。
いつものように、オリーブオイルでニンニクを炒める。そうして豆板醤を入れるのであるが、今日からは新しく甜麺醤(テンメンジャン)を買っておりそれも加えた。
ご飯ものの場合は、スープがあった方がいい。面倒なので、マーボー豆腐の時に使う醤油ラーメンのスープを多めに作って、残りをギョウザを入れたスープにした。
味は、驚くほど旨くなっている。店のに近づいた感じだ。思わず、♪♪ジャジャジャジャーン~と叫んだね。スープは少しくどかったので、大半は残した。
食後は、昼寝である。余り寝すぎないようにと気を付けていたが、ダメであった。
食器を洗ってから、コーヒーを飲みに出る。第二部である。雨が降りそうなので最短の店にした。ここで、常連さんのLINEに写真を送ると、1名の方が来るという。
午後も、なごやかに第二部がはじまり、閉店間際まで続いた。
いい一日であった。
■「書く、読む、生きる」(古井由吉著、草思社、2020年)を読む。(その2)
「世の中が豊かになり、それが20年、30年、40年と続くと、人の話す言葉や書く言葉が切れぎれになってくる傾向があるという。」
「講演で人を眠らせるようになったら立派なもんだ。下手な講演だとみんなイライラして眠ることもできない」
「世界で一番わかりにくいのは、日本語とアラビア語だ」
「伝統というのは、まさしく“言葉”なんです。」
「とくに戦後の教育では、“明るい”ということが世間で強調されすぎて、暗くしていることはいけないことだという風潮ができあがった。」
「けれど忘れるというのは、自分の記憶の底に沈めるということなんです。」
「限定された安全。」
「体力の衰えをおそれる者がひしひしと物を食らうように、欲にかかって読んだ。」
「人は年を取るほど辞典にたよるようになり、また辞典をひくことに楽しみを覚えるようになる~」
「おもしろい本ばかり読んでいては、本をおもしろく読むことはやがてできなくなるだろう。」
「ある年齢から小説というものを読まなくなる人がいる。」
「~“たびら雪”とは、軽くて大きな雪のこと~」
「――生が終わって死がはじまるのではなく、生が終われば死も終る。」
「君たちは、そそくさと読んで、そそくさと理解しようとするので、見えるものも見えなくなる~」
「~かくも長い人生のうちに、死は軽視してもさしつかへないものを悟らなかったやうな老人こそまことに哀れなるかな。」
「人が死のことを考える時には、自身が、幾分か死者になっているのだ。」
「――諸行無常の鐘の声 聞いて驚く人もなし」