■きせい
今日は床屋さんへ行く予定を立てていた。午前中は、いつものようにセカンドオフィスに向かう。休日の7時前の様子は感動さえする。指定席は空いていた。
常連さんが1名来店され、いろいろな話で盛り上がった。
気が付くと、奇声が聞こえる。最初は誰が発しているか分からなかったが、続くので声の主の方を見ると、2人で手話で会話されているうちの一方の方であった。
自分は気に成らなかったが、横のテーブルの青年は、勉強していたのであるが、店を出て行ってしまった。
ここ数日洟水が止まらなくなった。いわゆる花粉症である。そのため、テッシュが飛ぶように無くなっていく。
帰宅後は昼食である。今日はスパゲッティの日である。トマトニンニクにする。今回も試作である。見ると夕飯のカレーも作ってあるので、フライングしよう。
スパゲッティは、失敗であった。でも、食べることができる。塩気が全くない。それはそうだ、わざと入れてない。まあ、健康にはいいようなので、薬だと思って食べることにした。余った具で作るリゾットの方が合っている。
直ぐにでも出たかったが、洗濯物の取り入れがあるので、なご成る。
予定の床屋へ行く。やはり日曜日は混んでいた。毎回、ソファーで待つことは無かったが、今日は待たされた。
担当の方から、眉毛は揃えますか?と聞かれたが、とっさのことで返事が出来ない。眉毛を揃えるとはなんだろう、こんなことを聞かれたのは初めてである。返事をしないので、何本か長いのがあるのを切ってもいいかということであった。そう、高齢者は眉毛の何本かが長くなるのである。まあ、どっちでもいいが切ってもらった。
予定では、マックドで第二部のつもりであったが、床屋で待たされて遅くなったので、スーパーのイートインコーナーで過ごすことにした。いつもは、うるさい常連がたむろしていたが、感染対策で椅子が一脚だけになったので、誰もいなかった。
まあ、こういうパターンもいいかもしれない。
■「馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。」(藤森かよこ著、KKベストセラーズ、2020年)を読む。(その4)
「食糧難の時代が来る。」
「ショック・ドクトリンとは、“権力者、支配者が、目の前に起きた大災害の脅威と、戦争の危機を煽り、民主を脅かして、恐怖に叩き込んで、青ざめさせて、思考力と判断力を民衆から奪い取ること”」
「~孤独死こそは人間のこれからの生き方、死に方である。」
「希望的観測に逃げず、悲観的に想定し、自分ができる範囲で備えつつ、感情は楽観的に保持するのが、生き抜くには有効な姿勢だろう。」
「今までも、いろいろな仕事が消えて、いろいろな仕事が生まれた。それは未来も同じなのだ。」
「~個人に“幸福を追求する権利”を認めた。ところが、ある種の人々が、それを“幸福になる権利”と勘違いした。」
「生まれてはいけない人間は存在すると思っている。」
「犯罪が増えているように思うのはメディアが報道するからであり、犯罪の実数は減っている。」
「~マイナンバーカードはまったく機能していない。」
「だから何?」
「シンギュラリティ(特異性)とはなにか。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のことだ。」
「誰しも、自分の想像力の限界が、世界の限界だと誤解する」
「便利さには抵抗できない。電気のない生活に戻ることはできない。~インターネットのない生活に戻ることはできない。」
「考え続けることこそ、人間ならではの営みだ」
「読書好きというのも、生身の人間社会が苦手な人々が多い。」
「~社会は“個人化”しつつある。」
「“反出生主義者”というのは、“生まれてきたことこそ死にまさる災厄だと考える人間”のことだ。」