■散歩
今日もおかげさまで予定がないので、いつもの日常のつもりで起床した。出かける時に、家人から送迎をたのまれ、予定は変更された。
雨も降っていたので、一番近いコーヒーショップにする。ここは7時から開店している。
家人を送ってからも少し時間があるので、散歩する。
いつも通っている公園であるが、エゴノキがあったなんて初めて知った。花が咲かないと分からないようでは、まだまだだね。
こっちは、マテバシイの新葉か。
昼時間になったので、昼食である。今日は蕎麦の日である。寒いので温そばにする。肉蕎麦であるが分厚い肉を4枚も調理した。そして、忘れてはならないのが、ワラビの昆布〆である。2kgで一夜プレスしていた。慎重に上の昆布をめくると、糸を引いたので、昆布の旨みが、ワラビに移っているのが分かる。まあ、これは、あと何回か作ろうと思う。
少し昼寝して、フォレストの準備作業を行い。第二部へ向かう。蕎麦一杯では腹持ちが悪かったので、パンを頼んだ。これは、旨いね。常連さんが4名来店され、造園の話などで盛り上がっていた。
あまり歩けない一日であった。
■「作家は時代の神経である」(高村 薫著、毎日新聞出版、2021年)を読む。(その5)
「エシカル消費」
「エコではあっても、たとえば認証マークの商品はどれも割高なため、低所得者層には無縁である。」
「~私たち生活者が最低限ゆるがせにできないのは何だろうか~一言で言えば暮らしの安心ではないだろうか。」
「~コロナ対策を理由に繰り返される無定見な財政出動で、この国は実はコロナより恐ろしい未知の領域へまっしぐらなのではないか。」
「日本政府が“人類が新型コロナを克服した証として”という嘘八百の看板を下ろさない限り~」
「いまや日本は何から何まで三流だ。」
「総じて国が老いるということはこういうことであり~」
「三流だらけでも、真剣に学び続けることをやめなければ明日は来る。」
「自らの知力や判断力、決断力、新しいことに挑戦する力などの衰えを認めないのは、それこそ老いの証拠でもある。」
「~価値観の衝突に対しては科学的根拠も経済原理も利かない~」
「人口減少とそれに伴う経済規模の縮小はたんに国民を貧しくしただけでなく、あらゆるところで挑戦する力や前進する力、刷新する力などの活力を失わせたのであり~」
「国には必要な人材がおらず、民間にも人材がいない、こんな日本で壮大なデジタル改革はまず無理だと思うべきである。」