タケノコ交流

■タケノコ交流

 昨晩、ブログを更新してからスーパーに買い物に行ったので、歩数が2万歩を越えてしまった。これは、反省しなければならない。

 夕飯後、部屋でなご成っていたが、急に元気になる瞬間があり、起きた。

 さっそく、山菜の処理をする。大きな鍋に重曹を入れて沸かす。最初は、ゼンマイ、次いでタケノコ、最後にワラビを処理する。鍋の水は真っ赤になっていた。これで、アクが抜けたと安心する。

 問題は、イタドリである。初めてである。まあ、常識の範囲で皮を剥いて茹でることにした。まだ、スマホで検索するほど落ちぶれてはいないつもりである。しかし、終わった後に、スマホで検索して見ると全然違っていた。まあ、違っても食べられた。

 後の山菜は、テンプラである。家人が食べてくれれば成功である。

 今朝は、熟睡できたためか5時過ぎに起床する。先ずは、朝シャンをして、蕎麦も打つ。

 昨日採れたタケノコはお世話になっている常連さんにプレゼントするので、濡れた新聞紙に包んだ後の乾いた新聞紙で包む。蕎麦粉の購入でお世話になっているので、こういう形でお返しができて良かった。

 朝食後、セカンドオフィスへ向かう。しかし、開店10分前に到着してしまった。土、日は開店時刻が30分遅くなる。見ていると、7人ほど開店待ちの行列ができている。

 今日から、アイスコーヒーにする。常連さんが2名入店され、山菜の話で盛り上がった。

 帰路、八百屋さんで長芋を購入する。今朝打った蕎麦を三等分し、とろろで食べる。付け合わせは山菜の天ぷらである。家人は半分ほど食べてくれたようだ。ワラビをカットしてドレッシングで食べる積りであったが、家人より昆布締めにしたかったという。

また、ワラビを採ってこなければならないが、大丈夫だろう。

 午後からは、マストの昼寝をする。

 コーヒーを飲んでいると、フォレストの方からLINEが入った。タケノコを自宅に届けたという内容であった。今の時期、あげたり、頂いたりとタケノコ交流が盛んな季節なんだなあと笑みが出た。

 今日は1万1千歩であり、まあまあかな。

■「老いてこそ生き甲斐」(石原慎太郎著、幻冬舎、2020年)を読む。(その2)

「~深呼吸は血液の流れを促進し、脳も含めて身体を活性化するのです。」

「~最近ストレスが溜まって左の胸の周りに違和感があり~」

「老いの恐ろしさは、休息は衰退に繋がるという肉体の公理~」

「~ひと休みするのは危険な落とし穴だということは間違いない。」

「老いてから自分の体に自信を欠いてきたなら、~自分で出来ることを日頃試みて、老いの不安を取り除きたいものです。」

「~老いてもなおのトレイニングは人生をしっかり生き遂げるために不可欠です。」

「老いに対する立ち向かい術は~その日何をするかを積極的に考え、その日の計画を立てて臨むことです。」

「~老いるということに耐えなければそのまま無気力に堕して、ぼろぼろに老いていくだけです。」

「長寿による老いは当然その代償を求めてくるものです。」

「オアラリンピックの選手たち~彼らが背負ったものに比べれば、老いなど何の苦にもならぬはずです。」

「物事をあきらめ停滞することは一種の敗北でしかありません。」

「勝者には何もやるな」

「死への意識は人間にとって新しい現実への認識を促進する」