■牛岳方面
天気予報では、午前中は雨にならないようだ。明日からは朝から雨なので今日の内に歩いておこうと、呉羽山縦走を計画する。
朝は、天婦羅を揚げてから出発である。100円バスに乗るためには9時代なので、それまではいつものセカンドオフィスで過ごす。新聞を読んだ後に、封書を3通開封しようと挟みを探したが見つからず、指で開封する。その後、しばらく本を読んでいたが、直ぐに居眠りに変わってしまった。
9時に店を出る。スタート地点はここである。今日は最短ルートに決めた。
ヘラオオバコがきれいは形で群生している。
いい気持である。汗をかかないようにゆっくりと歩く。真新しい標識が至る所に立っていた。最近設置したものだろう。
今日は、登頂後、金谷方面に下山しようかなどと考えていると、LINEが鳴った。
知人のTさんからのランチのお誘いである。申し訳ないが、「またかよ!」と思ってしまった。冷静に考えれば、断る理由は何もなくむしろウエルカムである。待ち合わせ場所を連絡して、回れ右であった。
ランチであるが、知人のTさんが奥様に昨日のランチを話したようで、その時に、ラーメンばっかり食べられんな、といわれたとかで、今日は洋食レストランになった。
この店は知っているが、最後に訪れたのが20年前ほどなので記憶はなく、ただハンバーグの大きさに驚いていた。
同じメニューにした。何を言われてもいいので、お互いを撮り合う。
なんちゅう顔しとるのかね。
ランチの後は散策が決まりである。予報では雨であったが、まだ持ちそうだ。知人のTさんから、近くで、車で行ける富山平野が一望できる場所のリクエストがあった。
この方程式は難しいぞ。平野が一望できるということは、平野から見える山ということになる。いくつか絞られた。そして、車で行けるというと、限られてくる。まあ、正解ではないかもしれないが、牛岳を選択した。
温泉場の前で撮る。
自分である。
近くの竹藪に、根曲竹ではない竹があったので、試して見ることにした。
展望のいい場所に到着である。いいねえ。風もいいし、景色もいい。
ここは最高であった。戻る気力が奪われそうになった。
帰宅途中に、有名な卵屋さんのソフトクリームをいただく。
今日も、非日常が経験できた。知人のTさんには感謝である。
■「古典とケーキ」(梶村啓二著、平凡社、2021年)を読む。(その1)
「新しいものに興味が薄らいでいる。」
「繰り返し読むことのできないような小説ならば、はじめから読む必要がない。」
「古典とは楽譜である。」
「ユーロッパの男たちはごく普通に自分で焼き菓子を焼く。」
「自分で作ってこそ見えてくる世界がある。」
「そうだ、自分で食べる焼き菓子は自分で焼けばいいのだ。」
「漱石を読むといちごジャムが舐めたくなる。」
「世の中には満足しながら不幸に陥って行く者が沢山ある。」
「おそらく甘味は漱石にとって精神的生命維持装置だった。」
「文明は、時間の発見=過去と未来の観念の発見からスタートしたと言われる。」
「そして、不安を生んだのはほかでもない“未来”という観念だった。」
「予言に頼る。現実を理性的に判断することからの逃避である。」
「人間、聞きたいようにしか聞かない。」
「人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ」