■牛岳下見
今日からフォレストの講座資料作りと準備作業に入らなければならない。朝一にセカンドオフィスに向かう。開店5分前到着で1番であった。身なりのいい紳士は2番目である。今日はパソコンを持ってきているので、ここで作業をすることになる。
身なりのいい紳士は、7時6分に出られた。タバコ一本、珈琲一気飲みといった感じであった。
なかなかまとまらないのでイライラしていた。その時であった、知人のTさんからランチのお誘いが入った。実は昨日も入っていたが、時間が合わず次回にしていただいていた。そうして、次回が今日になった。
知人のTさんは、最近登山ついている。どこがいいか、チョイスするのは自分である。標高差200m前後なら大丈夫ということで、牛岳を選択した。そうして、ランチの前に下見に行くことに決まった。
実は、牛岳は冬の積雪期の記憶しかない。スキー場のリフトを降りて林道を歩いて二本杉の登山口という記憶はあった。しかし、夏場の記憶がない。何回か登っているはずである。そこで、乏しい記憶を頼りに走る。まあ、赤とんぼ広場までこればわかると思ったが、一周してしまった。
やはり下調べをして来なければならなかった。
車を降りて、蝶を撮る。
えらく無駄をさせてしまったが、知人のTさんは、平野の景色や新緑といい風が得られて良かったと大人の対応をしていただいた。
そうしてランチである。こう暑い日は、ザルソバに限ると思っていたが、ご飯ものも食べたいとなり、両方得られる店にした。大盛りは無料であった。
知人のTさんと別れて公園を歩く。
これは、マンネングサだろう。
ラベンダーと出たが、自分のイメージとは少し違った。
これはガザニアとでたが、直ぐに忘れるだろうなあ。
スイセンノウと出た。
牛岳の下見は失敗であった。また、日を改めて実施することになった。
■「スットン経」(諏訪哲史著、風媒社、2021年)を読む。(その2)
「これまで、個人の罪に寄り添い、追体験して人を許そうとしてきたのは文学でした。」
「法が許さぬ者を、せめて人心で許せないか。」
「僕らは同じ罪びと、例外なく汚れた者たちなのです。」
「人よりも海や森や空気が先に死ぬのです。」
「~石油や電気なしに生きられますか。昔の人は余裕で生きていました。」
「現代の大人は地球の敵なのです。」
「人生も終わりが近い年寄りにゃ毎日が有要有急だ。」
「中傷とは、臆病者が影に隠れて他人の心を毀してやろうとする、卑怯な闇討ちです。」
「人は皆、血の通った欠陥品なのです。」
「画面越しの生。~己の一回限りの人生を、精一杯旅してゆけますか。」
「本当に生きている実感を味わえるのは~居場所や存在証明を失くしてしまった時なのでした。」
「~液晶の画面の中に生はありません。」
「自分は知ある者で相対的に他人より上で偉い」
「~本好きには死ぬまで読みたい本、再読したい本があります。僕にはまだ最低二千冊、それらがあります。」
「批判はすべて侮辱ととる当世。」
「死ぬな、は自殺決意者には無力です。」
「間違った世界の中、無理に苦しんで生きる理由はありません。」