続・フォレストの日

■続・フォレストの日

 最近、山を歩いていないので今日あたり呉羽山へでも行こうかと考えていたが、フォレスト関連で課題が詰まっており、これを片付けないと何もできないので、昨日に引続きフォレストの日になった。午前中・午後と続く場合はそう呼んでいる。

 朝は、6時過ぎに家を出て、開店と同時に入るつもりでセカンドオフィスに向かう。

途中、異変があった。この地域は、梅雨に入ったと報道されており、雨である。まあ、小雨なのでどうもない。これは、気に成っていたことではあるが、靴底が室内サンダルより薄くなっており、足裏に負荷がかかっている。信号が青になったので、横断歩道へ歩こうとした時、歩道から車道への傾斜によって滑り、転倒した。滑り出した右足が、ズズズッと止まらなくなり、バランスを取ろうとして左ひざを道路に打ち付けてしまい直ぐには立てなかった。しかし、道路上である、足を引きずるように信号を渡り切ってひたすら痛みに堪えるしかない。

 もう変え時だろうが、穴が空くまではと考えている。新しいシューズが2足家に置いてある。

 セカンドオフィスに入る前に小用を済ますと、森林研究所のO先生がいるではないか。電車通勤とはさすがである。

 最初に、出前講座の内容を検討する。なかなか、子どもたちをワクワクさせるようなアイデアは出ないね。

 昼時になったので、店を出る。昼食である。今日は、スパゲッティの日である。五目あんかけスパゲッティにした。これは、安定している。

 昼食後、少し昼寝をしてから、フォレストの準備作業を2時間ほど行う。まあ、昨日の続きである。

 その後、シャワーを浴びて、第二部である。久しぶりに行ったが、新しい方が入ったようだ。ここは、落ち着けるね。まあ、雨の日用の店にしているのだが・・・・。

 今日は、これから森林インストラクターのオンラインセミナーがある。

■「心臓に針を」(佐伯琴子著、日本経済新聞社、2021年)を読む。

「上納金だった。美容整形というひた隠しにしたいことが、慈善というこのうえになく美しいヴェールをまとって広まっていく。」

「人間はすくなからず、意識してか無意識にか、社会のなかで何者かになりきり、ときに虚勢ともいえる強さを得ている生きものだ。」

「この世に弱くない人間なんているとおもうの?」

「入院して三ヶ月がすぎると診療報酬が下がる仕組みなので~」

「~高いところからきれいごとをならべたてるだけの人間じゃないか。」

「いつか死ぬんだと皮膚で感じられれば、ひとは惜しむことなく、生きることへの情熱が湧いてくる」

「ひとは忘れないからこそ、生きていける。」

「死が意味をもつ、と考えられたとき、生の意味が、大きく浮かび上がってくるんだ。」

「死より怖いもの。それは死に怯えるあまり、死の意味を直視せず、生への情熱なく生きてしまうことだ」

「死ぬときを奪われたのね」

「まわりからの褒め言葉に溺れて、さらに実力を高めるために努力するということをいつしか忘れてしまっていた。」

「日本のこの死なせない現状は異常だろ。」

「今まで悪だとおもっていたものが、善におもえてくる。」

「~ネットの世界の人びとも、自分の意見こそが正しいと、神にでもなったかのように書き散らす。」

「信念とは傲慢のことなのかも~」

「時代は変わりつつあるんだ、“どうして死なせたんだ”と家族に訴えられる時代から、“どうして死なせてくれないんだ”と訴えられる時代へね」

「~“運命なんて自分で変えられる”と口々にいおうが、変わりはしないのです。」