七夕

 

■七夕

 今日もおかげさまで予定がないので、張り切って早朝から行動開始である。まずは、いつものセカンドオフィスに向かう。少し違った道を通る。アサガオが沢山咲いていた。その中で違和感のある花が目に入った。ヒルガオである。まだ、7時前でも咲くんだね。

 開店時刻には間に合わなかったが、席は空いていた。今日は七夕である。長らく祭日のない職場で働いていたので、疎くなっている。節目としてや、昔を懐かしんで大切にしておこうと考えている。メッセージが添えてある七夕を見つけた。

 昼食である。やはりこの時期冷やっこは外せない。地元でも安いとされているスーパーで木綿豆腐を買おうとしたら、いつものスーパーで39円のが倍近くする。これでは、予算オーバーなので、昨日は絹ごしにした。それでも高い。そういう反省のもと、今日は慌てて昼食を作らないで、買い物をしてからにした。木綿豆腐は25円であった。

 今日はラーメンの日であるが、今回も試作する。ソース焼きそばを食べたかったので、ラーメン用の麺を硬めに茹でて、よくお湯を切り、具と和えてウスターソースで混ぜる。なかなかうまく行った。これは、レギュラーメニューになりそうである。

 大満足の昼食になった。経費はだいたい100円ほどか。

 今日も30℃を越えているようだ。エアコンを付けながら扇風機も併用し、なごなる。FMラジオは気に入った曲をやっていたので、14時までうつらうつら聞く。

 やおら起き上がって歩くことにした。しかし、暑いので、かき氷を食べに行った足で喫茶店というコースを選択した。

 懐かしいね。贅沢品という認識なので何年も食べていなかった。

 喫茶店では直ぐに出て、ホームセンターへ向かう。ドリルを紛失してしまったようなので、自腹で購入するつもりであった。しかし、サイズが無い!別の工具屋さんも行かなければならないな。

 帰宅後、フォレストの準備作業を行う。今月、養成講座の講師として指導しなければならない可能性が高くなったので、課題の竹笛を製作して音が出ることを確認した。もうこれだけで汗だくである。

 日が長くなって活動しやすくなった。

■「生物としての静物」(開高 健著、河出書房新社、2022年)を読む。(その1)

「飢餓休暇」

「事物は生物であって、頭のあれば心もあり~」

「この過剰サービスは鈍感で、図太く、毎度のことながらウンザリさせられる。」

「小説家は誰が見ても虚業家といえる職業なので~」

「生きることに心せき、感ずることに急がるるという年齢にあっては、まず、無理である。」

「~たいていちっともやりたくない何か、それが職業というもののようである」

「職業としての作家~とても他人にすすめられたものではあるまい。」

「完璧なものは地上にはあり得ないのだが~」

「“緊褌一番”~キンはしめる。コンは、フンドシ。」

「アラスカでは何もかも大きく育つ。」

「帽子をかぶるとアタマが蒸れるので髪が弱る~」

「旅に出て人と事物を観察し、書斎にもどって心と言葉を観察する。」