■はな
昨日と打って変わり、いい天気である。しかし、朝から脚が痛い。正確に言えば昨日からの脚の痛みが取れない。気が付けば、毎日脚の痛みと付き合っているようだ。
予定は決めてなかったが、車を使うことにして家人を職場へ送る。
庭先では、いろいろな花が咲いていたが、一際ホタルブクロが目立った。
この時期、公園を通って確認することが増えた。ナツグミの状態確認である。もう実が付いている。このまま熟して赤くなれば収穫である。
この公園で、スイカズラは初めてではなかったろうか。
家庭菜園のナスにも花が咲いた。
同じくピーマンにも花が咲いた。何か早そうな気がした。
昼食であるが、もう一品欲しいので、出かける。この公園は、黄色が目立っていたね。ブタクサ、ニガナ、コメツブツメクサなどが目立つ。この場所には、オオキンケイギクは無いが、少し行ったところに群生していることは知っている。
ニセアカシアを発見した。この花を食べるのである。しかし、少し遅かったようだ。いろいろ歩きまわり、元気な花を少し摘んだ。
ニワゼキショウもあちこち群生している。
コメツブツメクサだったと記憶しているが・・・。
途中、タンパク質摂取目的に豆腐を購入する。今日はラーメンの日である。暑いので自家製ゴマダレ冷やし中華にした。たれは、少し酢が効きすぎだ。小さじの分量を大さじで計量しているので誤差が多い。ニセアカシアの花は、お決まりの天ぷらである。この時期にしか味わえないのでなんか、義務を果たしたように感じ、満足である。
ちょっと、麺の量が多かったか、リンゴまで食べることが出来なかった。時間を置いていただく。何か足りないと見たら、スープが無いではないか。まあ、いいか。
昼食後、少し昼寝である。そうして、フォレストの準備作業を休みながら行う。
再び、なご成って、元気が出たら、セカンドオフィスへ向かう。これまで、喫茶店としていた店であるが、パソコンが使えるので昇格した。
いつもの常連さん5人がたむろされている。平和だねえ。
今日は暑くなったが、風もあったのであまり暑苦しさは感じなかったが、明日はもっと暑くなるようである。もう、ファンヒーターと扇風機を交換する時期が来たかな。
■「遺言未満、」(椎名 誠著、集英社、2020年)を読む。(その1)
「人間は自分らがやがて到達する“死”を知っているだけに非常に“面倒”な生物になってしまった。」
「与えられる餌をさしたる思考もはさまず、むさぼり食って毎日笑って生きているブターーーというのは、実はぼくだったのである。」
「~魂を解放したあとの遺体を空腹の動物などに施す、という考えが基本にある。」
「“お骨佛”とはつまりは人骨でつくられた仏像である。」
「骨であふれかえってしまった」
「そもそも日本のこれまでの葬儀があまりにも大がかりで、しかもそれにかかるよく意味のわからない費用があまりにも高いこと。」
「家族がみんな揃ってあれやこれや騒動をおこしながら暮らしている日々なんて人生のなかではほんのちょっとしかない貴重な時間なのだなあ~」
「人生には多忙が凝縮することがあり~」
「分不相応ということも気づかずまだ甘い夢を抱いていた頃だった。」
「家はあっても子供らは後をつがず、無人と化した家がいたるところに残ってしまい~」
「九相観とは、厳密には“死体を見る”修行ではなく、“死体のイメージを思いうかべる”修行なのである。」
「エンディングノートをめぐる旅」
「もう医師から決定的なことを言われている病人をお見舞いするのは辛い。」
「今の日本の行政措置の基本はどう見ても弱者排斥という非情なところに向いていて~」